まずは独り言。

成長するって少し味気ないことなのかもしれない。

40年近く生きていると人生のパターンや法則が見えて来て

自分のことも酸いも甘いも理解し受け入れられてくるものである。

10年前、20年前の出来事に類似した出来事に出くわすと

それに対する対処と反応の仕方が昔と今とでは大分違う。

10年、20年どころか1年前とも違ってる。同じような状況に遭遇するあたり住む場所や環境や周りの人たちは変わっても、人生の本質はあんま変わんないものなのかも、と思うけど、それに対する反応の違いを振り返れば自分の成長ぶりも微笑ましいし少し誇らしい。

今の職場は様々な年齢層の同僚がいて、物事に対するそれぞれの反応を見ると、人種は異なれど、やはり人間は人間としての成長過程という視点から見たら、皆似たような年齢で似たような過程を通過するもんだなぁ、なんて勝手に考察してしまう。

周りの人たちは自分の鏡という。今の人間模様はどちらかというと自分の人生が走馬燈のように繰り広げられている感じがする。

「あんた私の20年前だわ〜。うわ〜、めっちゃ生意気だったわ〜。でもその心意気、分かるわ〜。でも改めたほうがいいぞ〜。突っ張っててもいいことないぞ〜。」

「分かるの、その全てを改善したい気持ち。でもあと5年経ったら変革というものがいかに忍耐との戦いで、経緯を知らざる者変革を唱えるべからずってことが分かるから!まずは現状把握!経緯把握!」

そして私が社会人になりたての頃大先輩たちが与えてくれた数々の知恵を振り返っては、その深さを噛みしめる。

「体を壊すほど頑張っても誰も喜ばないよ。」

「自分と合わない人なんてどこにいってもいる。割り切ったほうがいい。」

「自分を見失わない限り大丈夫だから。」

仲のいい80うん歳のご近所さんとつるんでいるとこの人から私は今どう映っているんだろう、と、この年齢になったら人生はどのように映っているんだろう、と思う。経験上、80歳以上の方々はあまり人生のウンチクを話したりしないし、このご近所さんにも前は色々聞いて見た者だがいつも冗談ぽい返答ではぐらかされるので、今はもうきっと「自分で経験すんのをおとなしく待ちなはれ」ということなのだと決め込んだ。

それとも母がいつもいうように人間はいつの日も幾つになっても「これでいいんだろうか」と迷いながら悩みながら生きている生き物で、10代の頃の私が30代の私は人生のノウハウをとっくに学び大人になりきっていると勝手に確信していたけど、実際30代になってみたらそんなことは全くなかった、手なように、80代になったって、むしろそれほどの年齢になってからこそ、人生とは、なんて語れないものなのかもしれない。

年齢を重ねれば重ねるほど、人生とは選択の積み重ねで、その選択は人それぞれ異なった価値観で形成された優先順位で行われていくことに気づく。だから、年齢を重ねれば重ねるほど、その選択によって到達した目的地は離れたりする。でもその目的地が正しいかどうかの判断は本人以外、誰にもできない。そして詰まる所本人の判断以外、重要じゃない。

そんなことを思いながら、年配の友人との晩酌と遅めの夕食を自分で作って嗜めたと言うことに贅沢を感じながら休日の夜を過ごしている。

幸せってそんな難しいことじゃない。でもそれが分からなかった10年前の自分を振り返って対話しながら、これからちょくちょく書けていけたらいいなと思ってる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?