出版はゴールではなくて手段です。
今日も一日、原稿とにらめっこ。にらめっこしても、書けない時は書けない。その場合、私がやることはどちらか。
場所を変える。
その辺歩く。
できれば、さっきまで考えたことを考えない方がいいんだろうけど、やっぱ考えちゃうなあ。気分転換が、今日はうまく行かなかった。
でも、私は実はこのように、あてもなく考え、調べ、読み、書いて、消しては物思いにふける…というのが、嫌いじゃない。好きですはい。
研究者を志そうとしたこともあるくらい、一つのテーマに向かって、何かを表そうとするプロセスが、自分に合っていると感じます。
まあそうでもなきゃ、書けもしないのに延々と考えたりしないか。
さて、本づくりのことです。
これから何回かに渡って、私なりの出版への道のりを綴っていこうと思うのだけど、こういうのってきっと知りたい人がたくさんいて、ただのHOW TOとか、こうすれば出せます的な安易なまとめ方にしたくないので
(というか、できない。そんなの私も知りたい)
どうやって書き進めていこうか、ちょっと考えてしまった。
私が経験したやりとりが、誰でも当てはまるわけではないし、もっと要領よくやれる方法もあるはずだから……なんかどっから手をつけたらいいのかわからない。
でもまあ、本を出したという経験はやっぱり楽しくて奥ゆかしくて、嬉しい出来事であったから、それはそれで読み物として楽しんでもらえたらいっか、という結論に、今至りました。笑。
で、その本づくりをする前に、まずなぜ本を出すのか、っていうところを、やっぱりそれぞれで、それなりの答えを持っておくべきだと、これだけは強く思います。
私が自分の本を出す前もふんわりと思っていたことだけれど、本を出してみたら本当によくわかったこと、
それは、出版ってやっぱり、手段なんですよね。ゴールではないんです、本当に。
本を出すと、確かに「すごいね!」「サインください!」みたいなことにもなりがちなんだけど、よっぽどのベストセラーにでもならない限り、
で?
って感じではないでしょうか、作者にしても、出版社にしても。
作家としてやっていくなら、出し続けていくことが求められるし、読者に求められることが必要です。
そうでなくても、出版したい個人がその本を出すことで世の中に何を訴え、何を問いたいのか、ということが明確でないと
出版後、「すごいね!」「サインください!」攻撃にあったときに、自分を見失います確実に。
本が、個人の発信を強化してくれることは確かです。何かこう、ステージがあがる感覚は確かにある。
けれどもです。
本づくりは、作者のステージを上げるためにあるんじゃないです。少しは作者のためでもあることは否定しないけれど、圧倒的に読者のためにあるんです。読者に、社会に貢献するために、少なくとも私は書いていたい。
だから、本を出したからって終わりじゃない。それで、あなたがすごくなるわけでもなんでもない。ただ、読者や社会にとって、何か一つでも新しい価値を提示できたとしたら……その達成感って大きいですよね。
本をなぜ出すのか?
それによって、何を伝えたいのか?
これらの問いを、私は今も、自分が書いているものについては必ず問うています。
そして、これらの答えを自分なりに持てる人は、多分、書き手としての才能もニーズもあると思います。
そういう本づくりを、していきたいなと思っているのです。