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選択肢がない、という自由
先週のことですが、大都会東京で数日を過ごしておりました。
中国ビザ申請のため、すっかり様子が変わってしまった中国の行政機関を周り、怒号飛び交う大使館でのやりとりを経て、なんの結果も得られず帰郷(!)。
久しぶりに日本で「中国的今を生きる生活」を味わい興奮しました。いやしかし、結果は最悪だけど、おもしろかったなあ。ちなみにビザ申請は書類のちょっとした不備と先方の屁理屈により却下、再度チャレンジします。
そんなこんなはまた改めてつづるとして、
今回の滞在中、待ち時間が結構あったので、カフェ入ったり、百貨店の中歩いたりして暇を潰しておったのですが、どこを歩いてもなんとなく既視感でいっぱいでつまんないなあという感じ。
何をしたらいいんだろうなあ、とか、せっかく都会に来たのだから、とか焦りもするのですが、現実的には東京の情報やスピードにはもうついていく体力も気力もなく。
人にぶつかりながら、道に迷いながら、時々雨に打たれながら彷徨うばかりだった待ち時間のうち唯一、やっと、ここだーってな場所を見つけました。
情報を掴むのも上手くないので、適当に好きなワードで検索して出会った場所。ちょうど検索をかけた場所から数メートル先にあったここは、とっても居心地が良くて、一人でいても楽しくて、
「ああ、都会っていいなあ」
ってやっと思えた場所だったのでした。
電源、Wifiあり、コソコソおしゃべりしてもいいっていうのが、ありがたいっすよね。一人だったけど。こういうところ、田舎にはありそうでないんだよなあ。こんな場所、もっと地元にも増えてほしいなあ。だけど、コスパが悪いんだろうなあ。都会だからこそできる場所なんだろうか、ブツブツブツ・・・
・・・ってなことを、地元に戻ってからもやたら考えてしまうのは、なんもないここがやっぱり居心地がいいからなんでしょうね。
せっかく東京にいたのに、求めていたのは「本に囲まれて静かに過ごす」だったのですから。それって家でもできることでは(自問自答)。
帰郷してみると、今回ほどそのギャップに新鮮味と「なんもねえな」を感じたことはなかったかもしれないということです。
思いのほか長引いた滞在だったから、山手線上をぐるぐるしていればなんも困ることはなくて、なんでもあって、なんでもできそうな気がしてしまっていたのかもしれません。
だがしかし、山と海に挟まれた平地に暮らす生活に戻ってみると、
なんと、カフェを選ぶ必要もなく(数件)、落ち着く場所を探す理由もなく(すでに自然に囲まれてる)、イオン行けば東京と似たようなもんそろうという状況に、
選択肢が少ないってなんて自由なの!!!
を感じているのです。選ぶ必要も、迷う時間ももういらない。
はい、それ一択!
みたいなのが、人のクリエイティビティにどのような影響を与えるのかはわかりませんが、
考えなくても、今ここのベストを時短で選択できる幸せっていうのは、もっともっと自慢していいんだな。今日の、私の素直な感想です。