ことばの標本(7)_「作品がすでに持っているものが、導いてくれる」
「作品がすでに持っているものが、導いてくれる。」
ーー「赤々舎」姫野希美さんの言葉(瀬戸内アートブックフェアのトークイベントにて)
体には食べ物で栄養を与えるけれど、心には読み物で栄養を与えることが、とても大事だな、と思う。
いい本との出会いは、精神の土台をつくる。
今日はこの本を読んだ。
木村伊兵衛賞受賞者を輩出し続ける、刺激的で話題の写真集を刊行する赤々舎。立ち上げた姫野希美さんへのインタビューをもとに構成した、ドキュメントです。
私はといえば「広告」編集部にいた頃、知り合いの写真家が赤々舎から写真集を出したこともあり、その話の流れで姫野さんの存在を認識したという程度。
「敏腕」とか「新進気鋭」とか、ありきたりな形容詞をつけてそれ以上は知ろうとしていなかったけれど、
写真集の売れない時代、写真集の出版社で、その写真集が次々と木村伊兵衛賞を受賞していく異様な状況に、編集部でも相当話題になったことを思い出します。
さて、冒頭の言葉は、昨年の「瀬戸内アートブックフェア」で姫野さんが登壇されたトークイベントでの言葉。
写真家・川崎祐さんとの作品作りについてのお話で、私がおや?と思ったのは、お二人の作品に対する微妙な「距離感」でした。
お二人とも、「自作」とも言える作品を前に、どこか目線が遠かったり、他人事のようだったり、なんだかそこに「自分たちの!」という主張を感じない。もちろん、売り込みたいという営業の匂いもしない。
一体、様々な思惑がせめぎ合うであろう写真集づくりの現場で、どのように意見のすり合わせが行われているのか?
トークイベントの終盤、私が、ずっとこの疑問に思っていたことを手をあげて恐る恐る質問したところ、姫野さんから返ってきたのがこの回答です。
震える手で、メモをとったのを思い出します。この言葉は、これ以降、私が本をつくるとき、執筆するときの、心の指標になりました。
***
写真家の意図と、編集者の意図。
作りたいものと、世間との間にあるもの。
印刷とデザインの間にあるもの。
一つの作品を共同作業でつくる場合、「これはこうです」といって舵取りをするのは、著者なのか? 編集者なのか、それとも?
本をつくる時、私はよくこの問いにぶつかります。
著者や写真家はもちろん、表現したいものがあって、それを愚直に形にしています。けれど、それが読者という社会に放り投げられる時、ありのままの表現だと「伝わらない」ということが起こります。
純粋な「表現」だけを抽出したいと思いながらも、何かをすて、誰かが何かを主張しなくてはいけない。そのとき、関わるそれぞれのプロが、どのように主張を混ぜ合わせ、編み直し、あるべき一つの形に到達させるのか。
「作品が持っているものが、導いてくれる」。
姫野さんからの直球の回答を聞いたとき、ずっと聞きたかった言葉を、聞けたような喜びがありました。そして、思い出したのは、こんな大事なことをずっと置き去りにして、「売れる」とか「誰かが喜ぶから」とか、そういうものに惑わされながら、悶々としていた自分です。
今日読み終えた本にも、姫野さんのその言葉を裏付けるいくつかの印象的な言葉が綴られていました。
姫野さんにとって、写真集をつくる作業には「作家と深く同期した状態で、写真に向き合いたいという欲求がある」といいます。そして、その欲求がどこから生まれているのか?というインタビュアーからの問いに対し、姫野さんはこう答えています。
「私としては、撮影者の欲求とは写真のある一面でしかないと思っていて、写真そのものにもっと大きな意思を感じます。撮り手自身よりも写真の方により深く方向性が宿っている。だから写真がどうありたいかに添って、それを写真集として遠くに行かせるために、作家と話しているんだと思います」
(「本をつくる」)
姫野さんは、生身の自分を使って、写真に映し出されているもの、そこに現れている作品の意思を、読み取ろうとする。それは、決して、撮影者の欲求などでは、なく、向き合っているのはあくまでも作品。
作品が放つ「意思」。それを読み取ることは、作り手も実は気づいていないものや、発揮されきっていないものを見つける作業でもあるかもしれない、と思いました。
これって、どんな本づくりでもきっと同じだろうなと思います。
表現をするということは、もっと得体のしれないものに自分を委ねる行為。自分をただ表に出したい、というものではないと思うからです。
作品を産み落とすということは、ある意味、作者が自分を消すことで作品をダウンロードすることに近い、そんな気がします。
作者はただの媒介者。
編集者は、作者の意図ではなく、作品に宿った意図を読み取る人。
デザインや印刷も、作品を際立たせるためにあるわけで、
向き合っているのは、最初から最後まで、
この作品がどうありたいと願っているのか?
この問いと向き合っていくことが、作品づくりなのではないかと。
姫野さん、めちゃくちゃ美しくて、エレガントで、ため息が出るほど素敵な方でした。あの日、同じ空気が吸えてうれしかったことを、この本を読んでまた思いだしました。