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「読みたい」ものを書くことが、販売数にもつながる
出版プロデューサー西浦さんのこちらの動画視聴。
これから書いていきたい、と思う方は必聴と思われました。
「書きたいものを書いている」のか、それとも「読みたいものを書いているのか」。
書きたいことを書くのは、そこそこ誰でもできることなんだろうと思います。
私もぶっちゃけますと、この本は書きたいから書きました。
もちろん、読みたいものを書きたいという気持ちもありましたが、どちらがまさっていたかと言われたら、前者でしょう。
企画をする上では、ある程度は「読みたい」もちゃんとあるんです。
書く以前に、いろんな中国関連本をよみました。でも私には難しかったり、カルチャーよりすぎたり、そこで暮らす人の日常の視点をもっと知りたいし、読みたいのに、ない。
私の場合は、生活者視点でのリアルな中国が読みたかったし、それを伝えたかった。僻地でもなく、国際都市でもない、かなり一般的な中国の暮らしみたいなものを、本にしたいと思いました。
けれど、書くだんになると、やっぱどこかで、書きたいもの:読みたいものの比は、6:4になっていったなと思うのです。
一冊目ですしね。肩の力もだいぶ入ってます。
そして西浦さんの語っておられますが、この「読みたい」を見失わずにいられるかどうかが、自分なりのその後の「書き続ける」を作っていくんだと思います(断言)。
では、なぜ「書きたい」ではなく「読みたい」ものなのか。まず納得するのは
・読みたいものって、人にすすめやすいということ
・書きたいことだけでは、読者数が伸びていかない
・著者側のプロモーションが失速する
あたりの指摘です。これは、もうぐうの音も出ないほど、そのとおりです。
そもそも、自分が書いたものを、「読んで!」「買って!」というのはそこそこ遠慮が入ります。
身近な人や家族ならノルマ10冊と言えるけど、少し距離のある人にお願いしますというのは、なかなか難しい。
だけど、おもしろい!と思う誰かの書いた本だったり、それが知り合いだったりすると、もうみんなにすすめたいし、買って応援したいと思えるわけですよね。
それも自然に、素直に。
この本が、自分が「書きたい」ものではなく、「読みたい」ものとして書かれていたら、このあたりの距離感、すんごく変わってくるの納得ではないですか。
自分が作者である以上に、この本の一番の読者であれば、
「ぜひ読んで!」
と365日無理なく言い続けることができる気がします。
一方で、読みたいものってどういうものなのか、どう書くか、という課題もあります。
読みたいものって、「読者が読みたいもの」ともまた違うもの。
外に視点を向けるのではなくて、あくまでも、著者としての自分が、自分にそれをオーダーして書いているような?ことなのでしょう。
そして、この視点を持つって、けっこうコツがいるというか、トレーニングが必要だとも思います。
私の経験にすぎませんが、自分が読みたいものを書くときって、
「自分がどのくらいそのコンテンツに対してドキドキと衝撃をもっているか」
その衝撃をどのくらい維持できているか。その衝撃を伝えたくてたまらない、読者に「これ、どう?どうよこれ?!笑」と、提示していくような文章。
それは、誰かを説得したい、人より優位に立ちたい、というところから綴られる文章では、ないんですよね。
また、誰かが読むことを考えたら、わかりやすさからは逃げられません。わかりやすく書くためには、ネタからは一旦ひいて、冷静にならざるをえない。
そうすると、情熱はいつのまにかターンダウンしてしまうことも十分あり得ます。あるいは逆に作用して、饒舌になってしまったり。
まるで読者として初めて出会う内容かのように、内容に一緒にわくわくして、読者をどう驚かせようかと苦心しながら書くというのは、「とにかくおもろいんですよコレ!」というノリだけでは難しい。
俯瞰しながら書き、書かれた内容に二度驚くというような笑、
自分ひとりの世界で「読みたい」ものを書く。
そんなことができるようになりたいって、私もいつも思ってます。
おそらく、「共感してほしい」ではなく、「共有したい」ところから綴られたときに、冷静と情熱のバランスがとれていくのでしょうね。
↑このあたり、感覚です。もう少し言語化してみたい。
自分が「読みたい」と思えるものを書くことが、PRや販売数に影響する。これは本当に間違いないということで、この動画を見たときに「思っていたことを言語化していただいた」と感じました。アイタタタ・・・みたいな感じで笑。
出版は、著者ひとりでできるものではありません。つくるひと、うるひと、読む人、いろんな人がかかわって形になる奇跡の連携プレー。
長く第一線で活躍する作家さんたちの心の中には、いつもどこかに、
自分が自分の作品の一番のファン
という自負があるのだと思います。
私もいまだ、自分が「書きたい」だけに走っていないか、ちょっと離れてみるように練習中です。
それは、書くというより、書き続けるために必要な視点。そして、読んでもらい続けるための、技術的な視点というより、精神的な心得なんではないかと思いました。