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片道切符の旅は、私たちをもっと自由にする #旅とわたし

「旅に出る前と出た後で、人生がどう変わったか?」と問われたら、何と答える人が多いのだろう?

「全然変わらなかった」「旅なんて、ちっとも面白くなかった」「本当に素晴らしかった」「ぜひもう一度」。

様々な意見、それこそ十人十色の意見があるだろう中で、もし私が答えるならば、「旅は私のすべてを塗り替えていった」。その返答以外、ない気がしている。

長い旅――、つまり最初の世界一周と、行き足りず思わず続けた二度目の世界一周の旅の合計期間は、およそ2年と少し。その間、私はライターやフォトグラファーの仕事を続けながら、複数回の帰国と滞在、出張を織り交ぜて小さな旅も続けたから、もう「いつからいつまでが旅だったのか」すら、分からなくなってしまったけれど。

とにかく私は、旅と生き続けて4年目を迎えていた。未だ、この世界のどこにも、自分の名義で契約した部屋はない。持ち物は、32リットルのスーツケースと、いつものリュック。PCにiPhone、カメラにレンズ、あとはパスポートとクレジットカードがあれば、世界のどこでも基本的には生きられる。

「あんなに、ホームパーティーが好きだったのに」
「モノを集めるのが、趣味だったはずなのに」

すっかり持ち物は少なくなって、いつしか会社も辞めて、あんなに不安だったフリーランスにも転向して、フラ、フラリ。そういえば結婚すら、手放してしまった。さすがに最近は仕事があるから「明日どこにいるか分からない」なんてことは少なくなったけれど、今夜の宿が決まっていないことはよくあるし、1ヶ月後にどこにいるかなんて、私も知らない。

旅の魔力は、本当に恐ろしく強くて、美しい。

知らない国、歩いたことのない街、曲がったことのない角、笑い合うはずがなかった人との出会い。「数秒前に起こった偶然の出来事が、私の明日を変えてしまうかもしれない」という可能性に満ちた日々。

そんな旅の魅力を心底から思い知ったのは、私が「片道切符の旅」を始めてからだった。

旅と旅行、何が違うのか? なんて議論はきっとすごくつまらない。誰にとっての正義が誰かにとっての悪にすぐにすり替わってしまうように、定義すること自体にあんまり意味はない。

だけれども。もし私が47都道府県、世界50カ国150年以上を旅する中で、「これが旅だ」と感じた瞬間があるとするならば。

やっぱり「予定の見えない旅」において、だったと思う。今日一日何をするのか、明日は、明後日は、来週は。そんなスパンの話ではなく、「いつ日本に帰るのか」が自分でも分からなくなった時。決めなくてもいいや、と思えた時。

時間の流れが少し歪んで、私のことなんかで誰一人知らない街で、ぽつん。居場所を誰かに伝えなければ、今この瞬間私がどこにいるのかなんて、世界中でみんな知らない。街に溶けて、透明になる一瞬。

青い空の下、人はいつだって、屋根のある場所で眠って、食事をとって、何かを身に纏って暮らしている。どこまでいっても私たちは同じ「人間」で、連綿と続く営みの中、ただ「日本」の「現代」に生まれ落ちただけだと学ぶ。

そして名前も知らない異国の人と目が合って、笑って、話して、そして時折一緒に時間を過ごす。明日の目的地が、目的が、ゆっくりと輪郭を帯びてゆく。たくさんの恩を受けて、たとえば無償で泊めてもらって、ご飯をもらって、けれど「お金なんて、要らないんだよ」と。

あなたと私。相対する関係性の中だけで完結させようとしていた私の価値観。「あなたが受けた恩を、私に返そうとしないで。次の人に、渡してあげて」。

そのことばをもらった日から、私は変わる。世界に溶けて、目的地もなくなって、自由を知って。そして優しさという人の想いも、同じようにまた垣根をなくして、そうやって地球は廻るんだ、と気づいた時。

それから徐々に、私は旅人として完成してゆく。あれらは一体、どこの国の旅だったか。世界一周のはじまりの国・マレーシアか、砂漠の果ての夢の国・モロッコか、はたまた憧れ続けた中米は、ペルー・マチュピチュの山の上か。

心を解放して、常識なんか全部放り投げて、けれど結局人の優しさに助けられて。それらの自由の享受は、どうしても、往復航空券の旅では味わえない。気がしていた。

片道切符。旅人の夢は、全部そこに詰まっている。

旅は私の人生のあり方を、確かに変えた。それはもう、考えうる限り、光の指す明るいほうへ。だって地球は、こんなにキレイだ。

今見ている景色がすべてではないこと。雲の上は、いつだって晴れていること。それだけ忘れずにいられたら、私たちはもっと毎日を、楽しく生きられるのではないだろうか?


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