「地震!!」・・・本当に起きてしまった。
1月1日、朝グラ、小腹が空いて、ぜんざいを2回戦作って食べる。
午後、少しまた、小腹が空いたので、見切りで買った、黒ゴマ餅を2枚、コンロであぶって食べた。
「眼のある花々」を読了し、次は、コラムみたいな、「ルーマニア女性は、美しい・・」というものを読んで。
「パンに涙の塩味」を読み始める。
そろそろ、眠る時間だなあと、布団に潜るが寒い。エアコンは、使わないから。
なんか揺れ始めた、ユラユラと、ペンダントも、「外れやしないか!」と思うほど揺れる、揺れる時間が長い。もしかして、ここら辺りが震源地?
時計は、見たら、4時15分。少し進めてあるから。まだ、揺れている。揺れを止めようとして、ペンダントの引紐を止めてみた。でも、揺れていた。
「地震だ・・・」
「あれ、本当に起きてしまった・・ここで、腹を括るべきか?」
「でもまあ、寝よう・・」と、また、布団をかぶって、寝る。今度は、本当に寝入ってしまった。
10時ぐらいに、喉が渇いて、起きて、ここは、ラジオを聞くべきだと。
もそもそと、携帯ラジオ。第一、雑音が入る。FMに変えてみる、クリアだ。
震源地は、ここではなかったけど、大きな地震だったようだ。あの、阪神淡路大震災の時も、揺れたときのことを思い出してしまった、あれは、1月17日の早朝じゃなかったかなあと。
夕方の地震、それも、元日の地震。
11時、ニュースで、震度7の地震がと、速報が入る。くるか、くるかと、待っていたが、来なかった。間違いだったようだ、震度3。
これも、かなり、ビビった。
しばらく、ラジオで、地震速報を聞いていた、地方局の、むらたけアナの声が、山カフェのあの人のようで、心を落ち着かせてくれるのが、唯一の救い。
むらたけアナ、地震の時には、現れる。日が変わっても、むらたけアナは、声を届けてくれる。包み込むような穏やかなトーンで。
寒いので、灯をつけたまま、眠れなくても、横にならないとと。うつらうつら寝ていたようだ。
そしたら、深夜便の松井アナに変わり、「上を向いて歩こう」が流れた。
こういうとき、音楽も聴くゆとりないかもしれない。長期戦になったら、「上を向いて歩こう」は、心に響くが・・・。温かいものもなく、もしかして、閉じ込められた人は、低体温症で凍死されるかもしれない・・
揺れは続いており、不安、寒さ、津波の心配。暗闇の中での状況確認は、不可能である。「とにかく、ケガをしないように、底の厚いスリッパ、靴を履いて!!」
「声を出すと体力消耗するだけだから、音を立てる・・」
「音を立てるのも、疲れますから・・」
「エコノミークラス症候群には・・・」
今年の年末年始は、もう、上ヤッケ、下は、オーバーズボン(雨具でもいい)。で寝起き。頭には坊主バンダナ(チューブ状バンダナ、又の名をバフ)にフリース帽子、マスク、靴下は、厚手の靴下。坊主バンダナは、耳まで覆うと、暖かい。時には、ずらして、アイマスクにもなる。さらに、首元に落としても、ネックガード、引き上げれば、マスクにも。昨年から、足枕を使用。(私は、常にフローリングの上で、毛布を二つ折りに薄手ショール、更に小さなブランケットの重ねだけで寝ている。)
起き上がると、どうもヤッケが破れているような。経年劣化により、テープで止めてあるだけのところが、ほつれて、ビロビロ状態。それをまた、針と糸を出して、補修し始める。これで大丈夫だと思っても、体熱で、また別なところが、ビロビロと、パカっとなるもの。そういうものなんだ・・・。これ、「パリコレ?」。
ふと、あの時のことを思い出してしまった・・・3・11の前年の事故。
ネパールへ逃げるように3ヶ月逗留生活を終えて、帰国した日、家に着いた途端、音ともに揺れ始めた。まるで、追い討ちをかけるような悪夢ばかり。
とても、辛いとか、寒いとか、空腹とか、じゃなくて、急にぽかっと穴があいてしまった。どうしようもない大きな穴が・・・。
でも、時間は過ぎていく・・。
自然と、口に出るのは、「上をむいて、あ〜るこうおおう・・涙を・・」
だった。なんでだろう。あの口笛が良かったのかなあ・・。
ただ、あの時の、ことを思い出す。
「泣きながら、歩く、ひとりぼっちの夜」(・・エクジャなマットれ、ラティ・・)
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