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昔の姉妹遊びと、リカちゃんがブラジャーというものをつけていたのならば。

まだ、字も読めない頃じゃないかな。

母の料理本に、お菓子の写真や、料理の写真、が見開きで載っていた。

その料理本を順番にめくっていって、「これ、とった!」と掛け声を。

二人で、好きな方の写真を手でペタッと、押さえては、また次のページをめくる。

それの繰り返し。

時には、「主婦の友」だったり。

チラシだったり、ペタペタと、押さえごっこしていた。

 心に残るのは、一番最初に買ってもらった、お人形を横にすると、目が閉じる髪がクリクリで、髪の毛の長い西洋人形。年子だったから、二人とも同じもの。でないと、喧嘩するから。

 かわいいと抱っこしていた頃はいいが、知恵が先についた姉の方が、床屋さんごっことして、人形の長い髪を切り始めた。

 次、人形あきたらず、知恵遅れの私のおかっぱ頭の髪を、ハサミでジョキジョキやられた。

 お人形さんの髪は切ったら伸びないけど、人間の髪は伸びる。

 次は、親父さんがその私の悲惨な頭をなんとか直そうとして、カットし始めたとか。しかし、プロではないから、松の剪定のようにはうまくはいかない。

 最悪の危機に陥り、本当の床屋に連れられて、修正の仕様がないとのことで、一時的に男の子並みに髪を短くされた。


 小学生に上がると、世はリカちゃん人形全盛期。うちは、二人で一つのリカちゃん人形。よほど高価。

私の一人遊びは、リカちゃん人形の服を脱がせることだった。最後は、パンツいっちょ。どうして、リカちゃんは、胸が少しでているんだろう?

なのに、下着がパンツいっちょって???


 その頃になると、「なかよし」だか、「リボン」だか、漫画本を買ってもらっていた。「ミキとアップルパイ」という漫画の内容は忘れたけど、自分にとっては、性教育のような・・・。

 リカちゃん人形がもしもブラジャーというものをつけていたならば、年頃になったら、ちゃんとブラをしたのに。無頓着な母親に、「リカちゃんだって、ブラジャーしてるじゃない、私だって、買ってよ!」と言えたのにと。




あまり、書きたくないが、うちの両親は無学で、田舎者。父は男兄弟ばかりで育つ。母は、無学な上にまな板のような胸だから、ブラというものをしない人だった。

 父は、女の子というものを知らないから、生物的に興味をもち、小三年生ごろから、お風呂を覗いたり、私は、嫌だった。殴り殺したいほど嫌だった。おまけにトイレまで。胸の膨らみに気づくと、今度は、後ろから、両手で触り出す始末。

 母は、すぐに、父に成長の過程を報告する。書きたくもないが、下品な言葉で。

 私は、殻に閉じこもっていった。

 私は、おもちゃじゃない、ペットでもない。

だったら、「リカちゃん人形」に助けてもらいたかった。

 背後が怖くなって、勉強に集中できず、部屋に鍵を頼み込んでつけてもらう。

一度だけ、父が酔っ払ってか、癇癪を起こして、私がその部屋に逃げ込み、鍵をかけた。物凄い勢いで壊そうとする。でも手で押さえていた。姉も「あれは、獣だ!」と今になっていう。



親が無学であったことを、今更恨んでも仕方がないです。
娘の胸をおもちゃにするなんてことは、許せない行為です。


そのことを、高校を卒業して、社会人になってから、一緒にたまに山歩きしたSという女の子に、チラッと話す。

Sという女の子は、養女で父親一つの手で育てられたという生い立ち。
Sしかいなかった、今までの葛藤を話せたのは。

Sの方がもっと悲惨な話。年頃になって、Sのお父さんも男性だから、ムカムカする時があるという。そんな時、相手になるしかなかったという。

Sの家に行った時、お父さんとは、別棟に住んでいた。


還暦過ぎのオババの戯言にすぎないが、「児童虐待防止法」ができる以前の話です。田舎だから、たとえ法律ができたとて、家庭の恥は隠したがる、先生に告口したら、とんでもない目にもあう。


 結婚してから夫が、私の異変に気がついたのは、私の方の親類筋で、持ち回り新年会をやろうということになり、私たち夫婦の当番になって。カラオケできて、バスの送迎もありというお食事処を手配。最後お会計の時、父に後ろから、ポンポンと肩を叩かれた時の私の異様な驚きと拒絶反応を、夫はしかと見ていた。父は、「そろそろ、おあいそ!」の合図に過ぎなかったが・・。

 家に帰ってから、夫から事情を聞かれた。過去のことを素直に話したことを思い出す。




中学生になって、父の悪戯で、女なんか生まれたのが悪いと、自分を呪いはじめた。

 最終的には、風邪薬に手を出した。3回ほど。1瓶丸々飲んでしまい、フラフラ状態、保健室行き。

 最後は、耐性もできて、三年生の時の体育祭、一千メートル走は、誰もが苦しいから嫌がって、出る人がいなかった。もう、どうにでもなれで、「私、走ります。」と。

 その時も、風邪薬ひと瓶飲んで、青ざめた顔で、ドベで走り抜いた。

その時、母が見ていて、やっと、胸の違和感に気がついたようでした。

 高校受験、春かその前後、スポーツブラじゃなくて、胸にカップのついた下着をようやく出してくれた。

 その間、ずいぶん、変な悪戯をされた。女子から、夏用の半袖ユニフォームを着れば、背中から、摘ままれ、わざと胸の膨らみをチェックするかのように。それがとてもたるかった。他の女の子はもうすでにブラを着用しているから、目立ったんだろう。

姉は、頭がいい。頭の悪いのが胸がデカくなるとか、そんな偏見もあった。


こんなこと書いても、今の子供たちは、親子とは、友達みたいだし、また母親が学歴が高いから、子供の話をちゃんと聞く耳を持つ。

 最近の小学生のへそだしスタイルも、ちゃんと、胸当てをつけているようだ。

(内容的には、時代錯誤しているかもしれない。)






 


 


 


 

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