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この季節は、具合が悪い時を思い出す。自分なんて、所詮歯車の一部に過ぎないのに。「病気だった!」

メンタルをやられて、休職願いを出していた。ある春の日。

薬もあわず、朦朧として、それでも、自分がやらないと、誰がやるの?

思い込みすぎだった。所詮、私の代打なんて、そこら中にいるわけで。

完全にメンタルをやられていた。


それから、人事異動があり、違う部署へと。思い込みすぎだから、この人事異動も、一筋縄では、自分の本心に折り合いをつけることができず・・。

だけど、表面的には、「ああ、やっと解放される・・」とか言っていた。

それは、本当に表面的で、内心は、一軍から落とされたような気分だった。


それからだったのかな、エクセルに数字を打ち込んでいたのは。狂ったように。

自分のいた証を残そうとして。


今の季節、あの日の辛さを思い出す。


今日のような、風の強い日で、晴かな、曇りかなというはっきりしない天気。


まあ、PCも進歩するし、なんせ、本家本元の地方公務員には、その後PC勉強会なるものが開かれ、お給料のもらえる時間内に。おまけに今は、スマホ、タブレット、端末ありあり。


私は、その前の過渡期の尻拭いをしていただけなんだけどな。

(私は、公務員でない。公務員のショムニみたいな仕事をしていた。)

その後、段々、人間崩壊が進む。

最初は、第九に通って、憂さ晴らし。

お酒も、楽しむというよりも、苦々しく飲んでいた記憶。

薬とお酒は、絶対ダメです。

その後、病気が見つかり、切腹。

また、長期休暇を取る。


もう、完全に人間崩壊してました。


で、3度目の人事異動で、元に戻るが、全くやる気なし。

あの時の、辞令交付式の前夜は、実家の納屋の冷蔵庫にあった、缶ビールを全部飲み干して、一睡もせず。(辞めてしまいたい!!だけど、親が許さない。)


親父に、辞令交付式の場所に、いや嫌だったので、車で送り付けられる。


それから、休職願いを出して、休んだり、通ったり、最後は、職場に行けなくなりました。

いやいや、職場で気分が悪くなって、ソファで寝かされ、夫に迎えに来てもらいました。


やっと、姉夫妻がただ事ではないと、動き出して、退職届を夫と共に、出しにいき、職場を去りました。

通うといいよという、心理相談室の心理士の面談を受け、それが1回1万円。

それから、病院につながりました。


小康状態は、続いたり、また再入院したり、留めは、死ぬつもりなかったけど、泡ふいて寝込んでおり、救急車に乗せられて、・・。

警察の事情聴取を受けたようです、夫。


切腹手術を受けたときに、離婚を真剣に考えるべきだったようだ。


アスリートではないが、もしも本当のアスリートが夫であれば、いつ、離縁されてもいい妻だったでしょうね。





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