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新春初笑い。。開高健・・「孔雀の舌」抜粋
年末年始は、開高健さんの読みかけになっていた、「孔雀の舌」を読んでいた。
身に覚えのあるお酒の話は、プスプスと、小声で笑っていた。
おすすめは、「ズブロッカ」。これは、ポーランドのウォッカで、藁が一本入っていて、瓶ごと冷凍庫で、冷やして飲んでいたことがあった。
それ以後、お酒はやめた。
笑いを誘ったのは、残り少なくなってきた最終のページの方で、コラムみたいなお話。「お酒を呑みます」の章。
いまさらいうまでもないことですが、人間には”ないものねだり”という欲望があります。この欲望はたいへんつよいものです。とりわけ男にはこの欲望がつよい。・・・・・・・・
お酒を飲むと天才になったような気がするのです。マサカって?
いや、ほんとです。お酒を飲んでる男の顔をごらんなさい。髪をふりみだし、眼はキラキラし、額に青筋をたて、手をふりあげたかと思うと、地団太踏み、いま笑ったかと思うと次の瞬間にはうなだれ、思考は速く、感情はほとばしってつきず、ベートーベンであります。これがベートーベンでなくてなんでしょうか。・・・・・・・
のくだりで、亡き夫の、酔っぱらった姿を思い出しては、すけべにも、思い出し笑いをしてしまい、最後は、笑い声を立ててしまった。
夫の場合は、振り乱す髪もありません、ハゲでした。ただ、後輩たちに囲まれ、呑んでいると、あるとき、演説でもなく、人の言葉尻をとり、持論を展開する・・・・・。
そして、冷静な後輩たちは、「それは、おかしいよ・・」と、反撃をくらうと、突然また、正座して、シュンとして、頭を垂れて、・・・・・。「あっ、そういうものですか・・・」と、手を合わせて、正座した、太腿の間に手を引っ込める。
それの繰り返しを、傍観的に眺めてきたことを思い出してしまった。
そして、時には、ベートーベンなのか、「・・・哀歌」を歌ったり。
それが、「ベートーベン」とは・・。で、大きな思い出し笑いをしてしまった。
これが、悲しい男のサガなのかと。
妻、その頃、「第九」の合唱団に入り、毎週毎週練習に勤しむ。
そして、第九のMの部分をフルで歌っていた。パートは、アルト。
皆勤で、本番の舞台に立つ。錦織健さんも参加。夫、興味なし、夫のクライアントが慌てて、席をとって欲しいと、一人は、新聞社席、一人は後列の私がプレイガイドで、かろうじて購入した席。合唱よりも、前半部分が好きだとか。
くしくも、本日、生きていたのならば、おっとの誕生日です。
63歳のおじいちゃんになってましたね。
また、くっくっくっと、頭の中では、笑いが・・・。
そのコラムの、ちょいと前に、「淡麗という酒品」では。
・・・
ある年、鹿児島へいったときに、当年の出来のではなくて、何年も寝かせたという焼酎を出されたことがあったけれど、これはたいそう気品高い風格のものだった。いい酒を飲むと何となく襟を正したくなることがある。誰も何もいわないのに、滅茶飲み、乱酔など、できなくなる。どんな頽廃、放縦が描かれていようと頁の背後に、作者の持するところさえあれば微塵も汚戯が顔に塗られないのと同じである。酒と文学は原料の選び方、仕込みのやり方、腐らせ方、寝かせ方、細部の気のつかい方、無数の点でそっくりである。わからない人にはいくら飲ませてもわからないし、解説したってにわかに飲めるものでもない。その点でもそっくりである。そして盲千人、目明き千人という鉄則があって・・・・
私自身、エッセイ、詩、の区別もつかないほどの人間であるからにして、文学というものとは、程遠い稚拙な駄文ばかり綴っているから、文学論を語るには、到底達しえない人種なので、偉そうなことは書けません。
ただ、ご参考になればと、打ち込みました。
(おわり)
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