ついついの電話→実家だけの竹藪119番、そして竹柵補修、わあ〜い、完成。やって、やれないことはない。
姉に、先日に、柚子が欲しいという知人に送るために、30個の柚子をもらい受け、その御礼電話と、発送完了の報告だったのに。
姉は、いつも愚痴る。「うちのマスオちゃん(仮名)は、ちっとも手伝ってくれない、あの人は、イノシシ除けの柵作りすら手伝ってくれない。反論すると、『あんたのやることには、口出ししないし、俺には無関係』・・それに反して、料理に関しては、口うるさいだけ・・」と。
そんなお小言をいつも聞いているので、反面羨ましいお小言にも聞こえたり、男なんて、そんなもんだろ!!って思ったりする。(理系くんかな?元臨床検査技士)
今回は、実家に隣接する、竹藪古道(旧街道)に、風雨で、倒れかけた竹が邪魔をしているけど、姉のご主人も田舎ですからお宮の役というものがあり、門松作りという行事が重なり、そして親戚筋の葬儀と続き、頼まれても、如何にもこうにもならないという、内容だった。
で、どうせ、動かないマスオちゃんだから、姉に竹引きなんて、危なっかしくて、怪我でもされたら、こちらが困ると思い、半分犠牲精神で、翌日、早朝電車で、実家へ。
もう、タイパになろうと、母に挨拶もせず、着替えることもなく、ザックを外の縁側に置いて、そのまま竹藪直行。道を塞いでいるという倒れた孟宗竹はどこにも見当たりませんでした。
ただし、実家の竹柵崩壊度が顕著で、みっともないなあと。地面に近いところに積み重ねられている竹は、腐りかけ、こんなのどうやって、補修するのだろうか?
どうも、脊髄狭窄症の治療中の母が、道をふさいでいた孟宗竹を切って、向かいの竹藪に入れたらしい。枯れていたので、軽いといえば、軽い。
情報が交錯して、混乱。また、年寄りのワンパクか。
で、母が私の様子を察知し、怒り出す、暴言、罵声、飛びまくり。
まあ、いつものことだけど、姉に、年寄りのワンパクを報告すると、また、大目玉喰らうだろうなあと。
問題の竹を、2本引きずり出して、竹引きノコで、160センチぐらいの長さに切り、先端部分は、我が家の竹藪の放り込む。切り出した竹は、ダムのように積み重ねる。
竹の生え際を利用した、竹積み方法の竹柵なのだ、向かいの竹藪でも、同じようなスタイル。
だが、どうやって、地面近くの腐りかけの竹を抜き出すかは、動いているうちに閃く。軽い金槌でなく、重くてゴッツイ、金槌を親父の道具ロッカーから持ち出し、カン、カンと叩いては、割っては、腐りかけの竹を引き摺り出し、古道の入り口の飛び出た、邪魔そうな竹も叩いたり、引きずり出しては、積み直しの作業。引きずり出した、腐った竹は、うちの竹藪に放り込む。
押し込むには、全体重をかけて、鉄棒にヨイショと、這い上がるようにして。
まあ、なじられようが、どなられようが、なんとか様になる。
最後に補強として、家にあった、鉄杭を崩れそうなところを、ツルハシを持ち出し、穴を開けて、鉄杭を金槌で、3本、打ち込んでおいた。(noterさんのある記事を読んで、参考に)
ほとんど、土木作業。
どうだ、やって、やれないことはない、やらずにブータレマスオちゃんは、あてにしない。
また、ダメだったら、積み直しをすればいいだけのこと。
この時の、スタイルが、夫の遺品のイエローグリーンと黒のスペシャル粉吹きヤッケに、ブラックフライデーで、購入した、ブラックの細めオーバーズボン。コーデバッチリ。亡き夫と作業しているようで、一人でもあまり孤独感は感じなかった。
母、帰り際に言うこと、「いいウェアだけど、粉が落ちるからね・・」といつもの嫌味。
途中で、現れた、あの部落の女子No.1つまりは、ボス、栗林のお姉さまが小松菜を持って、到来。姉がいたせいか、小松菜の由来を、仰々しく説明。姉がいないと、私なんて、カスのような言い方されるが。金槌を持って、呆然と立ち尽くす私に、いつもと違い、コーデバッチリだから、私に向かい、「栗林のおばさんよ!・・」、姉、「いや、栗林のお姉さま・・」と言い直す。
なんで、格好がバッチリだと、こうも人の態度が違うのだろうか?たかが、ノラ仕事なのに・・。アホか!!!!それよりも、姉は、元県職員の勤め上げだからなのか、元市職員の給食の栄養士さんは、頭が上がらないだけなのか?
良い意味にとれば、スペシャルウエアに亡き夫のオーラがあったのかもしれない。
母、「ド田舎・・」と呟く。
で、午後2時には、帰路に着く。
帰路の電車内では、私のバイブル、「長い旅の途上」(星野道夫著)を読んで。心が荒んだ時は、この本を開く。
追記:
後日:マスオさんが、なぜ動かないか、徐々にわかってきた。電話番は、必ず姉を通してだから、マスオさんとの会話は、ほとんど不可能。
何故かと、いえば、自分の身を守るためなのであった。
この事実は、今回で、しかと判明する。
姉は、鼻息は荒く、声がデカく、すぐに感情的になり・・。
それよりも、元上級だか、中級だか、公務員の悪いところで、自分は動かずして、口先だけで、人を動かす。そして、気に入らなければ、怒りをあらわにするだけ。
あの時も、何故だか急に現れて、母の家の外の物置の掃除を、これ、いらない、いるとかで、ゴミ袋にパッパと入れていたが・・。「あれ、こんな可愛いものがある!!!」と言っては、手を休め、自分ところの愛犬ココスの写真の何とかを取り上げて、眺めている。それでも、「私、一生懸命やってます」を演じ、声を荒げて、「イノシシの柵もぜ〜んぶ私、一人で作った!!」って。
母は、迷惑そう。いるものも、捨てられてしまっているし、いつもの定位置のあったものが、移動してしまうと言うことは、誠に不便極まる。
で、最後は、ゴミ袋から、母がいるものを静かに出して、また戻していた。
姉は、なんか、おかしい。あの人の言いなりになっていると、心がやられてしまうと。あの時、いや、その前に差し入れに持ってきた、手作りブラウニーもどきだと思うが、怖くて食べられない。私は、一旦、危険人物と、察知した人からの頂き物、特に食べ物は、無理して食すると、下痢をすると言う、軟弱精神と、体質なのだ。
マスオさんが、やはり正しかったのである。長年夫婦で寄り添っていたことあって、「姉の毒」と言うものをしっかり見抜いていた。
で、今年は、もう、疲れ果ててますから、帰りません、メールを送っておいた。どんなに甘い言葉も、もう信用できなくなってしまった。
(後日談)まるで、あの家は、緘口令があるかのような・・。女王様のおな〜り。
12月19日火曜日
もう、姉は、私の脳裏の中では、「凶暴なイノシシ」に変化されてしまい、離れない。幼き頃、怒った父親に追いかけられたこと、姉に物凄い形相で追いかけれたこと、など、まるで、あの親父がそのまま乗り移った、クローン人間に思えたのだ。
「イノシシ」。
「餅つきをやるから、食べるだけのつもりで気軽にいらっしゃいな・・」と言う、甘い言葉の裏。勢いはいいが、実際には、餅つき機が回転している時に、熱々のお餅を取り出す時、母は平気だけど、昨年は、「あっちち」と言って、結局母が取り出す。その間、姉は用事があるとか言って、抜け出してしまう。私は、コロナかだから、一切、餅には触りませんと断言しておいた。母のお小言が始まる、「イノシシ、どこ行った???もう〜・・硬くなってしまう・・」
と、業を煮やした時に、イノシシ現れ、蹄をカチンと鳴らしながら、キナコ、あんこ餅を作る。
イノシシの、コーヒーを飲みながら、餅をイノシシペースで食べていた。母、キレる。「神棚のお供え、榊の用意、・・エビスさまにも、氏神様も・・」「イノシシ、何をしているんだ!!」「イノシシは、コーヒー飲んで、餅を食べているよ」と私。仕方がないから、榊の木のひと枝を切り、脚立に上り、お供え。
ここで、間に入る、私は、昨年のことを思うと、罵声、暴言、気遣い、で、もう、嫌だ。
「8割から2割に」とドクターに言われているので、今年は、絶対、イノシシの言葉に騙されてはならないと、固く心に誓う。結局、気遣い、で、自分が動く羽目になると言うことと、餅が食べられないからだ。
イノシシの蹄が作った餅、想像するだけで、下痢を起こしそう。
で、本日、さりげに、お餅のことで、イノシシの家に電話してみると、イノシシいない、ここで、マスオさんと本音トーク。「言い出したら、聞かないからなあ・・結局、やり遂げてしまう・・(ほとんど病気的、「石にかじりついても」親父の教育通りに育った、一番かわいい大切な長女⇨「親の期待を裏切ってはならない」と、俗に言う、「良いこ」「優秀な娘」)」
「で、昨年の話だけど、イノシシペースで、餅を喰らっている間に、おばあさんから色々言われて、結局そう言うの、もう疲れちゃったんです」「今年は、更に、足腰が弱くなって、身動きが取れない分、暴言、罵声が飛びまくると思うんですよ・・」
「餅つき中止は、不可能かもしれませんが、もう丸餅のバラとか出てますから、こちらで、購入してお送りしたほうがいいかなあと思って・・」
「まあ、餅を送ってくれる分には、ありがたい・・でも、止めることはできないよ、(なんせイノシシだから)」
「もし、イノシシが達成できなかった時は、「まあええやん!」って、一言声をかけていただけると、ありがたいのですが・・」
あとで、考えたら、「火に油を注ぐだけ」のようで、こんな時は、言葉とボディタッチかなあ・・いやいや、イノシシだから、跳ね除けるだけのような。(「私がどんな気持ちでいると思うの!!」でしょうね。)
で、適当に丸餅、切り出しもちを購入して、明日ゆうパックで、送る準備完了。
こっちまで、振り回されるのは、もうごめんだ。「8割から2割に減らすこと」と、繰り返しお経のように唱えながら・・。
今頃、蹄をカチカチ言わせながら、または、蹄を研いで・・。音が聞こえる。
12月21日、ゆうパックは、午前中に届いたようだ。お昼過ぎにイノシシから、「お餅をたくさん送ってくれて、ありがとう。豆餅も、おばあさんと一緒にいただくわ・・もう、餅をつかなくてもいいぐらい・・でも、餅つきやるわ・・」
「豆餅じゃないよ、かきもちだよ・・」
12月22日メールにて。
ご機嫌メールが届く、「そっち、雪が舞ってる?こちらは、雪が舞ってるよ」
返信メール「かきもちは、コンロの上に網をのせて、ジクジクと炙って食べるのが醍醐味だから、オール電化のおばあさんのところに持っていったとしても、無駄。全部、あんたのところで、食べなさい。」
応答メール「わ〜い、私、かきもち、大好きなのよ・・丸餅は、お飾り、お供えに使えるね・・」
返信メール「しばらくは、帰りません・・」
本当のところ、姉毒アレルギーが出てしまい、昔の思い出が蘇り、芳しくない精神状態なんです。だから、饅頭があったとして、姉は、いつもアンコを好み、私は、皮を好んで食べていた。私たち姉妹の姿の原風景は、そこなんです。