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休日

第一回目のブログを書き上げ、珍しく達成感のようなものを感じ時計に目をやるとまだ14時だった。次の週末、誕生日を迎える友人に花を贈ろうと思っていたので、実際に花屋に行こうか電話で済まそうか迷ったが、結局出向くことにした。

行きつけの花屋は何件かあるが、気になる花屋があったので数駅隣りまで足をのばした。この街は30年近く前に住んでいたことがあり、今もまた住んでみたいと思っている街だった。大きくメディアで取り上げられることはないが、個性豊かなお店や小洒落た店、商店街などが良いあんばいにあり、浮ついて居ない感じが好みだった。

花を注文し帰ろうとすると店内に気になるものを見つけた。お店の人に訪ねたところ、ウミウチワという天然の珊瑚でとても希少なものとのことだった。衝動買いの勢いが削がれるお値段だったので保留としたが、佇まいに惹かれた。

それはまるで葉の落ちた冬の樹木の影絵のように見えた。

ウミウチワ

勝手に四方八方に広がっているように見えて、完璧に調和がとれている。細部に目をやると、細い枝の先端までも神経が行き届いているのがわかる。その枝がその方向に伸び、その方向に枝分かれしていることにとても説得力がある。日の差し方や隣りの枝との位置関係、様々な要因が或る中で、1本の樹がその場所に生存するために、最も美しい形を提示する。「神の意志」のようなものを感じる。

だから人間も一人一人、樹が枝を伸ばすように成長したら、年齢を重ねるごとに調和がとれて美しい地球になるのではとなると思うのですが。だってフラクタルでしょ。と、得意の論理の飛躍。この飛躍している間を埋めたい、人に正確に伝えたいという野望を抱え、説明し、行動し、何度挫折したことか。

遅いランチは花屋併設のカフェでと思っていたけれど、ふと思いついて住んでいた当時、足繁く通った喫茶店に寄ることにした。前日、ある人から嫌な思い出で一杯の街を年月を経た今、旅してみたら、あたまの中の嫌な印象と違って、むしろ懐かしく感じ驚いたという話しを聴いていたので。喫茶店に嫌な思い出があった訳ではなかったが、今の自分がどう感じるか味わってみたくなった。

入ってみるとほぼ満席だったが、運良く角の隅っこに席を陣取ることができた。隅っこはとても落ち着く。

メニューを開き、昔懐かしい当時好きだったケーキを食べてみようかと思ったが、数日後に健康診断を控えていたのでまたの機会とし、食事を優先しカレーとコーヒを注文した。

友人の家を訪ねた際、ここのケーキを手みやげにしたら、友人から「素朴な手作りケーキが好きなんだね」と言われてちょっとびっくりしたことを思い出した。確かにパティシエの作る宝石のようなケーキより、手作り感のある素朴なケーキの方が好きだ。

以前より自分でも不思議に思っていたが、原風景は小学生の頃、毎日のように遊びに行っていた友達の家で出された、カスタードクリーム入りの手づくりのワッフルやマドレーヌかもしれない。それが焼かれるときの甘い香りや柔らかい食感、やさしい味とともに、それを作ってくれた友達の優しいお母さんといつもさっぱりと整っていたお家の雰囲気をありありと思い出した。なるほど、私は素朴なケーキをこれらの幸せな思い出と共に食べているから、美味しく感じる訳だ。

せっかくなのでお店に置いてある本を眺める。澁澤龍彦、内田百閒など渋いラインナップ。その中の一冊、ミャヒャエル・エンデの「鏡のなかの鏡」を手に取る。

鏡のなかの鏡 迷宮  ミヒャエル・エンデ 著 岩波書店
鮮烈なイメージと豊かなストーリーで織りなされる,30の連作短編集.ひとつずつ順番に,前の話を鏡のように映し出し,最後の話が最初の話へとつながっていく.このめくるめく迷宮世界で読者が出会うのは,人間存在の神秘と不可思議さである.『モモ』『はてしない物語』とならぶ,大人のためのエンデの代表作.

子どもの頃、学校の図書館の本を読み尽くす勢いで本を読んでいたけれども、エンデには食指が伸びなかった。友達の家の本棚に並んでいた事も妙に良く覚えていて、気になってはいたけれども読まずじまい。結局、「モモ」も「はてしない物語」も読んだのはつい最近で、確かに当時の私は読みたくは無いだろうなと思う内容だった。

潜在意識で本当に求めている本は、実際にはなかなか読めない気がする。読んではいけない気がする。力のある本は奥底に眠って無い事にしている、本物の欲求や感情を目覚めさせるから。気がついたら変わらなければならないから。

「鏡のなかの鏡」の一話と二話を読んだだけでも、次元の違うところに連れて行かれる気がする。これを書いている今も、その世界を感じることができる程に。けれども同時にその世界を全力で避けている。身体がじりじりとし、落ち着かなくなってくる。危うく引きずり込まれそうになったところで頼んでいたカレーが来た。これ幸いと本を閉じ現実に戻り、カレーに手を伸ばす。ただ逃れきれずにAmazonのカートにポチっと入れた。

気がつくと満席になっていて、お店の人が新しいお客さんを断っているのに気がついたので店を出た。もう壊されて新築の家が立っていることを知っていたけれども、昔住んでいた家に向かった。当時のままの家も何軒かあり、その前を通る時に家族と交わした、ちょっと楽しげな活気のある会話がピントのぼけたイメージで蘇ってきた。当時、私の人生の中では比較的充実していて良い思い出の多かった家なので、その後に起きる出来事を考えると、実際以上にキラキラしていたように感じた。凡庸な表現しか出来ないけれど、人は様々な面を持っていて、その時々に合わせたふさわしい自分を演じているように思う。

日も落ちかけてきたので、お屋敷街の個性豊かな家々を堪能しつつ、となり駅まで歩いた。

こうやって動くと、何かちょっと充実した休日を過ごせた気になり、休日から平日へ境界線を超える時の痛みもちょっとゆるむ気がする。



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