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おともだち

おともだち

最寄りの駅のホームに降り立たった。小学校低学年ぐらいでお下げ髪の、賢くて育ちの良さそうな、目鼻立ちの整った女の子が、ドアが閉まり走り出そうとする電車に向かい、力一杯に手を振っていた。

「ゆいちゃーん!りんちゃーん!バイバーーーイ」

と、まるで今生の別れのように大きな声で呼びかけていた。転校するのかな、と思ったその直後、

「また、明日ねーーー!」

という声が耳に飛び込んできた。

明日も会うのか!と思わず吹き出すのと同時に目頭が熱くなった。この女の子は、本当に今生の別れのように、お友達とお別れすることが寂しいのだ。明日、会うことなど関係なく、今、寂しいのだ。今、寂しいということを人目など気にせず、全身全霊で表現している。その刹那の感情が私の胸を打つ。

大人になるにつれ感情や感覚の純度がどんどん下がって行く。純度を下げることができることになることを、大人になると言うのかもしれない。本当の感情に目を背けたりごまかしたり、言い訳をしたりしているうちに、いつしか本当の気持ちなどわからなくなっている。自分が何をやりたいのか、何が好きなのかをすっかり見失っている。外側の指標、周りの空気や相手の顔色に飲み込まれて行く。そしてそこから外れる人を嫌悪したり、蔑んだりするようになる。

そんな茫洋とした漂う魂を、生命の輝きに満ちた彼女の声は揺り動かす。私自身も生きているということの力強さと瑞々しさを思い出させた。魂が呼応した。共鳴。共振。

一瞬、一瞬を彼女のように味わいつくし、そしてそれを一点の曇りもなく純粋に表現しながら生きられたらどんなに素晴らしいだろう。どんなにか世界は鮮やかに感じられるだろう。

電車の中の窓越しに二人並んだ女の子は、ちょっととまどった顔をしながら、小さく手を振っていた。まるで短編映画のような、高野文子の描くお話のような、とてもとても美しい光景だった。

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