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私の母は毒親です。娘の不幸が母の幸せ。
やっと
やっとやっと
私はひとりで
こどもたちを育てるんだと
思えてきて
やっとやっと
夫に離婚届を渡すことができた。
夫は常に酔っ払いだったから
ものすごく怒って
実家に帰った。
でも
数日で帰ってきた。
そして私に謝って
「お酒はもう飲まないから」
といった。
でも、
数日後に飲んだ。
それを数回繰り返した。
ほんとに
何やってんだろうね私。
お酒はやめていても
脳からアルコールが抜けるまでには
私の体感では
2年かかった。
これは個人差あるとおもうけど。
この、
「飲んでないけど酔っ払い」の状態を
「ドライドランク」
という。
この時期が
悲惨。
本人は断酒がんばってるけど、
まだまだ他責思考、短気、イライラ、会話できない、
私のつらさは以前と変わらないのに
断酒を褒めて認めないといけない。
で、
ときどき再飲酒しやがる。
いやほんとに
はやく離婚しろや私。
でも、
できなかったんだよな。
夫の断酒がはじまっても
私はまだまだしんどい日々。
けど
それを繰り返すうちに
夫はアルコール依存症の病院にも行ったりして
(次飲んだら病院て約束しといたら案の定飲む、という罠を仕掛けた)
だんだんと
脳からアルコールが抜けていくのが
そばにいてわかった。
話が通じるし
会話のキャッチボールができるようになってきた。
だんだん
平和な日が増えてきてた。
このころ
専門家のアドバイスで
夫の金銭管理をしていた。
お酒はすぐに買えちゃうから
買えない環境をつくるためだと。
そのころ
夫が私の母に
会いに行くという日があった。
お正月の挨拶に行ってくれた。
私が
どうしてもまだ母に会いたくなくて
そしたら
夫が子どもたち連れて
行ってくれたんだ。
このころから
本来の夫の優しさが
ちょっとずつ見えてきてた。
母は
「交通費にしてね」と
よく現金をくれるので
私はあらかじめ母に電話で
「今、治療中で金銭管理をしてるから
お金を渡さないでほしい」と
伝えておいた。
けど、
母は夫にお金をわたした。
でも夫は
帰宅後すぐに全額私に預けてくれた。
2万だった。
私は腹が立った。
母に電話したら
「3万円渡しました」
って言った。
睡眠薬飲んだ時の
ろれつの回らない声で。
1万円足りないことで
私たちはまた大喧嘩をした。
夫がお酒を飲んだと思った。
次の日
もう一度母に電話したら
「2万円だったかな」
とあやふやに答えた。
もうね
これ、
わざとなんだよ。
母は
私が幸せになっては困るんだ。
不幸な娘でいてくれないと
母は存在できないんだ。
私は母に
「こどもの幸せを願わない親はいない」
とよく聞かされてきた。
そうだと思ってた。
だけど
このときはっきりと分かった。
母は私の幸せを望んではいない。