アダルトチルドレンからの脱皮

ワクワクすることをその内から湧き出る情熱のままに、寝食も忘れるほど、没頭して、その道のプロになった人をテレビで観た。


本当に感動した。

羨ましいと思った。


ふと思った。私にもそんな人生、今からでも送れるのかな。


ここのところ”自分の好きなこと”を探している。

今のところ、そこまでのものに出会えていないけれど、本当に好きなものに没頭できる人生を歩んでみたいと強く思えるようになったんだ。そうやって行きていいということを自分に許可しようとしている、のかもしれない。


私の価値は”人の役に立っているかどうか”。


できないのに引き受けて自爆したり、問題を解決しようと踏み込んでみたら、とばっちり。


誰かの役に立つことが自分の価値 だと思っていたのに、できない。

だから、

お金が稼げないことは価値がない。

人の悩みを解決できる力がない自分には価値がない。


物心つくと、私は、”守られるより、守る側”だった。


父が経済的なDVをすることで、
母が新しいジーンズも買えない、うどんや小麦粉のもちの鍋など、
切り詰めて生活していたり、怒鳴られたりしている姿をよくみていた。


自分が必要でないのに、学校で使うからとか理由をつけて、お金をもらい、それを家計に回したり、バイト代も家に入れたり。

ま、こんな家族も割といるのかもしれないけれど、とにかく窮屈で仕方なかった。


でも、学んだ。

ありのままでもうそれだけで、私には価値がある、らしい。

私の価値とは関係ないのか。

自分の幸せに責任を持てない。


だから、元気だねって言われると嫌な気分になった。


多分ね、私は守られたかった。強くみられたら、守ってもらえないから。



そういう、価値観が今、ぐらついている。



今、何を指標として行きていけばいいのか、

いざ、好きなものをやったらいいと言われてもわからない。

なんとなく、嫌かもなーと思っても少し我慢してしまう。

いいかもなーと思って行動しても最後まで自分の結論を疑ってしまう。



自分にかわいそうなことをしてきた人生。

もう、変わらなきゃ。


時はきた。

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