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池袋暴走事故、飯塚幸三さんの死の報道から感じたこと

11/25に池袋暴走事故の加害者飯塚幸三さんが亡くなりました。
※飯塚幸三さんと呼ぶのは被害者遺族の松永さんがさん付けで読んでいる為

事件の概要は皆さんご存知かと思いますので割愛しますが、今回の報道は色々考えさせられるできごとだった。

飯塚幸三さんに思うこと

事故当時から一貫して車の故障・不具合を主張してきたが、2024年2月には松永さんに謝罪の手紙を送り、ブレーキとアクセルの踏み間違いを認めた。これにより5月に松永さんと飯塚受刑者の面会が実現していた。

飯塚幸三さんは刑を逃れるために車の故障・不具合を主張していたと見るのが一般的だ。でも自分はそれもあるが、2人も殺めてしまっという事実を受け入れた時の過度なストレス。こんな大きなストレスが掛かったら。。本当のことがわからなくなる可能性もあるなと考えた。自分も事故を起こす可能性がある。自分ごととして考えたい。

そして人は死が近づくとしっかりと向き合えるものなのか?
「東アジア反日武装戦線」のメンバー、連続企業爆破事件の首謀者桐島聡容疑者も「最期は本名で迎えたい」などと話していたという。
まだわからないけど死が近づくと楽しい思い出より、後悔のほうが残るのだろうか。
後悔ないように生きるしかないのか。。。

松永拓也さんに思うこと

松永拓也さんの発言を見るたびに、どうやったらこんな人間になれるのかと尊敬する。そもそも自分は家族が事故で死んだからって、交通事故がなくなる活動なんてできない。現に自分は親友を交通事故で無くしているけど、そのような境地には至っていない。
そして今回の飯塚幸三さんが亡くなったことを受けてのツイート

・飯塚幸三さんとさん付けで呼ぶ
・刑務所で最期を迎えたことに悲しさを覚えている
・天国で会えたらと、飯塚幸三さんが天国に行けると思っている
・飯塚幸三さん経験から学び、同じような悲劇を繰り返さないための道を共に考えると

何で家族を殺されてもこのような境地でいられるのか?
最初は色々葛藤があっただろうが、時間を経てこの境地に至るのか?
松永拓也さんに沢山の幸せが訪れてほしい。そして交通事故が減ることを願う。

車好きでしられるフリーアナウンサーの安東弘樹さんが言っていた。車とは棺桶であり凶器であると。車に乗る時はしっかりと向き合うべきだ。

来年3月で親友が交通事故で死んで10年になる。もう少し死について考えてみようと思う。
そして生きている自分は今日1日を全力で生きているかを、自問自答しながら生きていきます。

フルスイング!!

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