価値観の違いを認めよう
今更ながら昨年のM1のマヂカルラブリーのネタを観ました
世間では「あれは漫才か?」と言われているネタですね
決勝のネタと最終決戦のネタ両方見ました
素人である僕の感覚ですが、あれは立派な漫才だと思います
ボケが言葉ではなく動き、というだけでそれに対してのツッコミもちゃんとあるからです
漫才ではない!という方の意見はこのイメージがあるからではないかと思います
しかし、漫才に明確な型や定義はありません
M1のルールにも「これが漫才」という決まりはありません
そうなると、認められないのは価値観の問題だと思います
これまで持っていた漫才に対する「こうあるべき」という価値観と違うから「あれは漫才じゃない」となっているのです
しかし、結果としてM1という漫才の大会で評価されたのは事実です
大切なのは異なる価値観を認めるかどうかだと思います
自分の価値観が正しい
このように人は異なる価値観のモノ「異物」として排除することがあります
その根底には「自分の価値観が正しい」という思いがあるからです
それは誰にでもあって悪いことではありません
例えば戦国武将の織田信長は当時の人たちからは違う価値観を持った人だったと思います
信長といえば、戦に鉄砲を持ち込む、西洋の文化が好きで南蛮渡来のモノを輸入、最期の居城の安土城は西洋のお城のような外観だったといいます
信長が天下人になれたのは、西洋の武器や文化という異なる価値観を取り入れて活用したことも要因の一つであったと思います
実際、「南蛮の武器など使いたくない」と受け入れてなければ長篠の戦で勝利したのか分かりませんからね
時代とともに変化する価値観
今やSNSやインターネットは当たり前の世界です
ご年配の方の中にも、インターネットで買い物をしたり、SNSを使いこなす方がいます
一方でそういった情報を遮断している人もいます
それが良い・悪いではなく「そういうものもあるんだ」ということを受け入れることが大事になるのです
価値観が違うから使わないではなく、使う・使わないを決めるのは受け入れた後の話です
最初の例に戻ると、M1という大会に出場して優勝した以上、時代はマヂカルラブリーのネタを漫才として認めてしまったのです
だからこそ、本来あるべきは漫才であると受け入れて面白いか、面白くないかをジャッジすることではないかと思うのです
異なる価値観をどう受け入れるか
一人ひとりが情報発信できる時代になってからは、個人間においても様々な価値観があります
例えば、「副業をすることで、本業がおろそかになる」という価値観もあれば「副業をすることで、本業にフィードバックできる」という価値観もあります
前者は明らかに副業の経験がありません
「そうなるに違いない」という思いだけです
異なる価値観を受け入れるには、やってもいないことを弾き返したりしないで「そういうのもあるよね」と思うことです
その上で、その価値観の本質にあるもの(この場合は「副業で何を得られるか」)が自分に必要かを考えればいいのです
頭ごなしに決めつけてしまうのが一番よくありません
まずは「そういうのもあるよね」と受け入れてみましょう
まとめ
漫才一つにしても価値観は多様化しています
時代の変化で価値観も大幅に変化します
いつまでも頭ごなしに否定していると、時代に遅れてしまいます
まずは「こういうのもあるんだ」と受け入れてみるのがいいと思います
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