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どうして自分ができたのか?〜子どもの頃の体験が自己肯定感低めの女をつくる


2024年になってしまいました

どうしてもnoteを書くときは気合を入れてしまうので、なかなか書けない悪循環に陥りますが、今年こそはライトに向き合いたいなと思います。

去年はそんなに目立った活動をしてないなと思ってたのですが、振り返ると初めての写真展をしたり、専門学校でSNSを教えることになったり、パリに行ったり色々あったなと。

こうやって振り返られるようになったのも、2024年の習慣化を続けたい人を募集して、みんなで取り組む環境を作ったから。そう2023年は環境づくりの大切さと面白みがわかった年でもありました。

独立した頃は会社員の人とかビジネス系とか意識高い系の人には私のやりたい気持ちなんてわからないと思ってたし、自分にはビジネスなんて良くわからないし、金も大事だけどそれよりもやりたいことに夢中だったから、いいじゃんとかなりひねくれてました。

なんでこういうひねくれた思考になぜなったのか?ってことを今まで考えたこともなかったけど、結構父親の影響が大きいのかなとふと今年になって思ったのでそんなところから振り返ってみました。

小さい頃に願っていたこと

よく何か欲しいものってある?と聞かれたりするのですが、あまりそういうい物欲や出世欲は子どもの頃に消えてしまってたのです。

一般的な子どもが何を考えて、何が楽しいのかとか良くわからないんですが、小さい頃に「神さまに一生のお願い」ってのを何度も頼む、ことってありますが私が願うことは毎回一つしかなくて

どうかお父さんの買った券が当たりますように

小学生の頃に土日に両親に連れられて、出かけるところといえば競輪場ばかり。競輪とか競馬とか競艇とかは子どもの遊び場が充実していて、そこで一期一会で同じように連れてこられた子どもと仲良くなって、名前も知らずに別れる休日が私にとってのお出かけ。

当たり前なんですが、レースごとに一喜一憂する大人たちに振り回される子どもたち。でも子どもは親が買ったものが当たらなかったら不機嫌になことはわかっているので、お金が欲しいというよりも当たれば親が機嫌が良くなるので、とにかく当たって欲しいと願ってばかりいました。

負けると家に帰ると不機嫌になるので、それが悲しいというより暗い雰囲気に耐えられなくなるという日々。(大体負けますよね)しかも、他の友達は休みの日に遊園地に行ったり家族てバーベキューしたり遊んだりしているのでとてもこんなことは言えない。

『競輪場に行けば同じような子どもがいるのに、なんで自分の周りには誰もいないのだろう?』

その答えとして、自分は他の家庭と違うんだ。こんなことは人に話するものでもないんだ。と自分を納得させて自分の両親のことは何も言わないようになりました。でも周りにはいつも家族で出かけてていいねーといわれていたけれど。

親に連れられてパチンコ屋に行ったり、夜のスナックに連れて行かれたり、こういうことは他の子どもから話を聞かなかったので、ますます自分のことを話すのが面倒になってくる状態に。

それでいてやたらとお金もないのに、子どもに物を買ってあげたがりだったので、ちょっとじっと見てると「欲しいのか?買ってやるよ!」というので
買ってもらったらお金がまた無くなってしまって、また競輪やパチンコをやるか、自分のお年玉取るだけじゃんと思ってた私は全力で拒否。

欲しいもののそぶりは一切見せないようにしてたのです。そうすると人って欲しいものとかそういう感情がなくなる物なのだなとつくづく思います。

サラリーマンの家庭だったらよかった

親がいわゆるサラリーマンではなかったことも、結構負い目に感じていて、スーツやYシャツというのをほとんど見たことがなかったので、ハンガーの扱い方もわからず常識だろ?とか結婚してから散々言われて(職場でも言われましたが)

ああ、すみませんサラリーマンの常識知らなくて

と心の中でずっと思ってたので、会社員の親を羨ましく思っていたし、自分は会社員として働きたいなと感じていたのですが、結婚出産で辞めることになり、自分は会社員とは一生縁がないんだろうとまた諦めモードに。

今思えば自営業の人もたくさんいるし、全然そんなこと思う必要はなかったんですが、今みたいにネットがあればもっと違う思考になったのかもしれませんね。

ビジネスの才能がない

高校生になって、親が独立して事業を始めるといった時、実は内心絶対うまくいくはずがないと思ってました。

なぜかというと私が生まれた時に父親は自分で事業を起こしたのに、失敗して夜逃げしたらしいし、金銭感覚がちゃんとしてる人とは思えなかったから。見通しが甘いというか(もちろん言わなかったですけど)

今になってはっきりとわかるんですが、父親はビジネスセンスというものがない。そしていつも言ってたことが

「(ギャンブルやタバコを)やめろと言われても何十年間もこれで生きてきたんだから、変えられるはずがない」

この言葉が思った以上に私を縛り付けてたような気がします。

だからこそ私の状況ではいつまで経っても、変わることができないし。私自身も親に似て経営とか事業とかお金を稼ぐというセンスはないから、絶対無理だし考えようもない、今更変わることなんてできないと無意識で思っていたのでしょう。

自分がいろんなことを諦めていたり、欲しいものへの欲が薄かったり、自分が何をやっても変わらないと長年思っていたのはここだったのか!と2024年になって突然気づいてしまいました笑

同時に私には父親と一緒でビジネスの才能とかないから、起業とかそんなのは雲の上の話だとずっと考えていたのです。

とりあえずやりたいことを次々やってみたら

でも東日本大震災をきっかけに、自分の人生を生きようと思うようになったのでその反動でやりたいことをやりたいという方向にベクトルがいってしまったのだなと。

なので2019年に独立したときは、「あれもやりたいこれもやりたい」だらけの女でした。今までずっと自分を一番後にしていきた鬱憤が溜まっていたのか、とにかく自由にやりたいことをやりたいんだ!結果なんて別にいいんだ!という気持ちが強かったんだと思います。

SNSの講座を自分がみんなを助けたいというよりも、自分はこんな講座をやりたい!そうした方がいい人がいるのに勿体無いという気持ちが高くて、本当にビジネス的思考がほとんどなかったのに良くなんとか生きてこれたなって感じです。

今までもこう振り返ることは結構あったのだけど、父親の影響とかあまり考えたことがなかったので、突然気づきがあって自分でもびっくりでした。なのに3つの会社に関わっているのが本当に不思議。

環境が人を変える

父親と自分は似ているとは思うけど、何が違っていたのか?を考えてみたんですが


・自分のできることとできないことを理解して、自分がやりたいことはやるけどその結果をちゃんと分析してみること
環境を変えることで人は変われるんだなと思ったこと
・自分には到底無理と思ってたことが、実は思ったよりも簡単だったこと
・自分が無理だと思ったことを頑張るのではなく、人に任せることの方がいいことに気づくこと

最近はやりたいことだらけだった自分がちょっと変わってきています。自分がやりたいことをどんどんやったせいで、自分のやりたいことの質が変わってきたからではないかと。

とある人に「トモミンさんの段階が変わったんだ」と言われ、そうなのかもしれないとようやく自覚できるようになったのです。

これは2021年に行動心理カード講師になったり、2023年にブレインプログラミングファシリテーターになったことで、やりたいことが自然にかなうという仕組みを体感できるようになったのも大きいのだと思います。

自分の成長って自分だと当たり前になってしまって気づかないものなんですよね。だからこそどの環境に身を置くかということがものすごく大切だし、そういう環境作りをしたい。

だから2024年のスタートを一緒に走ってくれる人を集めて、1ヶ月限定の活動を始めました。

https://resast.jp/events/884985

環境が変わると人生が変わる、そういう場所を提供したい。2024年はいい環境づくりをつくることを私の形にしたいです。



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トモミン|伝わらないを伝えるに翻訳する専門家|山田トモミ
いただいたサポートで取材や特別ともらぼセミナーを開催します

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