合理と直感が交わるところー庭の「収まり」と「完成」を考える #0113
さてさて。ようやく梅雨もやってきたかと思えばもう7月間近ですね、、早い!
庭の作業的には、作庭仕事がひと段落したので、現在は剪定などの手入れ作業がメインになっています。
庭を作っていていつも思うのは「完成」とはなんぞや、ということなんです。
そもそも植物は成長するので、完成がない面白さがあります。とは言っても作庭している庭を一旦完成させて、施主さんに引き渡す必要があります。(当たり前だ)
どこかのタイミングで自分として「よし!収まった!」と思うタイミングがあるのですが、この「収まった」というのは、どのようなタイミングなのだろうか?ということを考えてみました。
そこには「合理」と「直感」が交わる部分があるんじゃないか?ってな話です。
まず図面を作る
はい。まず作庭をするときは図面を作りますね。
このとき大事なのは、全体の骨格とレイアウトを考えることです。どこに何を配置して、どのように高低差をつけるとどう見えるのか?植栽はどのように入れると心地よく感じるか、目線を隠せるか。四季の移り変わりや花の咲くタイミングはどうか、、など、全体計画を固める感じです。
図面を作成する段階で、ある程度の全体像は見えている感じですな。頭の中で完成のパース(というか実像)は描けている状態まで試行錯誤します。
これはオーケストラで言うと楽譜になるので、この最初のプランニングは大事です。この計画をベースに諸々の手配を進めていきます。
この辺はやはり直感というよりも、合理的な配置を考えていく感じです。
植栽などを入れて施工していく
で、実際施工です。施工はほぼ土木作業!
この段階では、料理で言うところの「下拵え」なので、完成イメージを考えるような段階ではないですな。ひたすら作業!と言う感じです。
しかし、土を作ったりするのは、ゆくゆくの完成(=生育)にかかわってくるので、非常に大事です。見えないところが大事!
この辺りではまだ図面も「動くもの」として捉えています。
でかい石が出てきたり、予期せぬ水道管があったり色々ありますからね。適宜修正を加えながら全体感が崩れないように進めていきます。
必要な掘削が十分に進んだら、木を入れていきます。まず大きな木から入れていきますが、この時点でかなりはっきりと全体の骨格が見えてきます。
木はもちろん生物なので、最初のイメージ通りの木ではないことも往々にしてありますが、イメージに近い樹形のものを選んで少し枝を払って入れます。大事なのは樹形ですな。
または圃場にある木の樹形と高さを把握しておいて、「この木が入るな」という考え方をすることもあります。その方が確実にイメージに近づけられます。
わたくしは個人でやっているので、図面から変えることもあります(そんなに多くはないけど)低木などはイメージと違って変えることがよくあるかな。
この辺、人に発注するときはもっと繊細に図面を作らないといかんでしょうなあ。
バランスを整える
高木を入れたら、次は中木、低木、地被、、と入れていきます。
ここはバランスを見ながら場所を微調整して、また育った時のイメージを考えて濃い緑、薄い緑、カラーリーフなどを配置していきます。花が咲く時期のバランスなどにも配慮します。
この時大事なのは、とにかく構図。バランスともいえます。
いくつかポイントはあるのですが、目線が安定する3点の配置を基本とすることや、高さを高い→低いに合わせる、とか幹が直線上に重ならない、とか微調整を重ねながら全体の配置を決定していきます。
理論としては存在しているセオリーがあるので、そこを基準にします。
が、その現場の「様子」でセオリーを敢えて外す判断をすることもあります。
ここは直感との微妙な陰影、という部分な気がします。
石などの資材を入れる
資材はモノによっては木よりも先行(石など)、あるいは高木を入れた後など、木の根鉢の大きさなどによって入れる順番はまちまちです。
特に石は全体の「熟成感」に大きくかかわってくるものなので、先に入れたほうがいい場合が多いです。石は庭においてかなり大事な要素ですな。
あと、石は後から動かせないことが多いので、四方から何度も配置を確認してバランスを整えます。これがハマっていないと最終的に「ヨシ」とはならないわけです。
あと、石に関しては土地を掘っているとデカいのが出てきて困ることもあります。
処分しても良いのですが、こう言ったものは敢えて使うことが多いです。予定はしてなかったけどレイアウトに組み込んでみる、って感じですな。
まさに「既にそこにあるものとの共同作業」って感じです。
まあそういう意味でも、やはり庭の場合は図面を動かせることの良さがあるように思いますね。
「いけそう!」と「変だな、、」の狭間
このようにバランスを整え整えしていくのですが、7割方できてくると「これでいけそう」または「なんか変だな」が微妙に分かれてきます。
この違いがどこにあるのか?と思うに、おそらく作業が進むにつれて入ってくる「直感」の入る余地が2つの分岐を大きくしている気がします。初めのイメージの持ち方とのズレ幅、とも言えるかもしれません。
初めにおおよそのイメージがつかめていると、途中で掘り当てた石を組み込むことになっても、多少イメージと違う樹形の木を置いてもバランスは取れていく感覚があります。なので、中低木を合わせることで「終われそうだな」感を醸し出せます。
「なんか変だな」になっているときは、低木を入れてバランスを取れそうなものはそのまま進めますが、そうでない場合(あんまりないけど)少し全体感を調整します。まあこのタイミングでそこまで大幅な変更は少ないですけどね。
いづれにしても。変な「直感」を当てにしすぎると、この分岐が明確になってくるのか?と思うております。
とはいえ、どこで「ヨシ」と思うかは難しい
んで、微妙に濃度が薄いところとか、逆に濃いところを調整したり、高さや枝に違和感がある部分を修正かけていきます。
ここで時間をかけると終わりが見えないゾーンに突入していくので、きっかり終わる必要があるのですが、この見極めがなかなかどうして難しいです。
前述のように、ある程度「いけそう」感がある場合でも、最終的に地被を入れているときに抜き差ししないと、どうにも引き締まらない感じになることがあるのです。
植物が面白いのは、成長後の姿が現在の姿とは別にあるので、「こう育ちそうだ」という予測も含めた「いけそう」な姿を想像して「完成」とすることが必要なのです。
ここにはある種、植物の生育という「理屈」と、生育に関わる複数パラメーターの「偶然性」がかかわっています。
合理と直感の交わるところを「発見」していく
植える植物は、その場の環境を考えた上でレイアウト的にまとまるものを選んでいきます。例えば水はけや日当たりのパターンなどもそこに入りますな。
これは初手に考える「合理的」な判断だと思っています。植物が合理的に「ここに入る」という判断です。
ところが、それを踏まえても無限に組み合わせがあるのです。
その無限にある組み合わせの中で、なぜそれを選ぶか、というのは合理的だけでない直感みたいなものも必要になってきます。
その背景にあるのは、植物的な知識だけでなく構図的な考えや人生経験、みたいなものだと思うわけです。
その直感部分みたいなことに折り合いがつくと、最終的に自分にOKが出て「ヨシ、完成」となるのだと思っています。
説明がとても難しいものではあるのですが、合理的な収まりや構図と、自分の直感が重なった時に完成!となるのかなーーというような気がしています。
無限の可能性の中から一つの「完成」を発見していくのが、庭の面白いところの一つなんだろうな、と思う次第でありますよ!
ではでは!
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