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畑と庭の境界線ってあるの??エタブルと装飾のガーデン #0124

さて。前回の続きっぽい話ではあるのですが。

仙台のガーデンデザイナーKさんと話をしていた内容に関連する話で「果たして和と洋、畑と庭のような境界線というものはどこにあって、または区分する必要があるのだろうか」という話題になりました。

わたくしはデンマークではいわゆる「エタブル(食べられる)」ガーデンで働いていたので、この辺りはとても面白い話だと思うんですよね。


食べられる植物は庭に向かない?

わたくしがよく考えるのは、装飾的な庭には食べられるものをあまり入れない、という暗黙的なルールがあるように見えるのですが、それって何でなんだろうか??ということなんです。

もちろん野生で生えているものや、果実系(例えばブルーベリー、ビワ、柑橘系など)はよく庭づくりの一環で入れます。が、たとえばトマトやナスはなぜ入れないんだ、とかアオダモの横にトウモロコシがあるのは本当にNGなのか?とか考えるんですよね。

生育の関係で、「育たない」となってしまうのはもちろんいただけないわけですが、「作物」と「植木」の境界って本当にあるのだろうか?という問いがあるわけです。
一般的には、日照や土の関係で生育に適さないとされているけど、生育に適した環境であればなんでもアリとも言えるわけです。
そもそも植物には優劣があるわけではなくて、単純に植物がその場を気にいるか気に入らないかの基準しかないと思うんですよね。

デザインの本質とは「そこに相応しいものを、相応しい形で入れる」ことだと思います。だったら、作物が育っていてもおかしくはないし、食べて楽しむという2次的な効果すらあるわけなので、その辺はアドリブ的に入れていった方が良い。
そもそも植物の場合、イヤならそこに育たないですしね。その辺、植物の生育は高度に「デザイン的」であると言えるんですよね。

デンマークのガーデンはエタブルでした

イングリッシュガーデンとジャーマンガーデンのコンフリクト

カタカナばかりで恐縮です、、。

「ガーデン」と言われるものを考えた時に、英国的なイングリッシュガーデンというものがまず浮かびます。これは装飾的な草花を中心とした「楽しむ」ことをメインにしたガーデンです。王宮やお屋敷の外構を装飾していくことが元の目的で、イメージ的にはガーデナーさんがいて、バラなどを育てているような感じを思い浮かべるでしょうか?こんな感じ↓

一方、ドイツ的なジャーマンガーデンというものがあります。これはどちらかというと市民農園的な意味合いが強くて、街の空き地などに市民が作物を育てるようなもの。市民参加型が普及したのは、ドイツが戦時中に食糧の自給を目的に街に配置していったのが始まりと言われています。要するに、「畑」という機能が発展して今の形になったわけです。コミュニティガーデン的な色合いが強い感じですね↓

この辺りのコンフリクトみたいなものはいまだにある感じがします
個人レベルでは、しっかり計画して愛でることを目的にしている人もいるし、一方で畑的にして、食べることをメインにしている人もいます。
また、欧州だと階級的な括りも大きいと思います。お城周りの外構など装飾的な庭は、高度に保存されております。しっかりと仕立てられた植木があったり、装飾的に特化した対称性の幾何学的な庭は、これはこれで貴族社会には必要なものとして残っているわけです。

わたくしはドイツの流れを汲むデンマークのガーデンにいたので、ジャーマンに馴染みがあります。現代においてはこの2つは混じり合って市民社会に解放されている流れになってきています。つまり「装飾的かつ機能的なガーデン」という感じになってきているわけです。欧州ではだいぶ浸透している感じがありますが、現地でもこれが一般的な感覚かと言われるとまだそうではないかな、という感じもします。

ネイティブかつ現場積み上げ的な庭

さて。近年では環境配慮の一環で、「ネイティブプランツ」を使用しようという流れば広がってきています。なるべく土着のもの(在来品種)を使おうではないか、という流れですな。
これはわたくしも意識することが多くなってきています。ガーデンデザインをする際にも、なるべく日本原産の植物を使おうという考えになってきているわけです。

ここに一つのヒントがあると思っていて、機能的か装飾的か、という軸とは別に、その土地固有か、そうでないか。という基準もあるのです。

文化も動植物も混じり合って、「固有である」という感覚が薄まってきている現代だからこそ、その土地にしかないものにはとても価値があるんですよね。
今は機能と装飾が混ざり始めていて、それが商業(例えばレストラン)と絡み始めていますが、その先を考えると土地ならでは(site specific)であることがより価値を持つようになると思う次第です。

そしてこのことは、冒頭に話に戻るわけです。「食べられるか食べられないか」みたいな基準よりも、「その場に適しているかどうか」という基準が大事になってくる、という話なのです。
現場作業が大事だよ!という前回の話にも通じる話ではあるのですが、コンセプトありきではなく、現場(Site)ありきから、対象の植物を見てその場に適したものを選んでいく「現場感=固有感」みたいなものが大事になってくると思うんですよねーー。

現場から積み上げ的に将来の庭を考える、というのは全てに通底する話であるわけです。

エタブル系、現場積み上げの挑戦的案件!

最近お話をいただいた案件で、ご自身で家を改修している方のお宅に行きました。

ご主人が5代目(!)の大工さんなので、家もいい感じで作っているのですが、その庭を託されたわけです。
託された、と書きましたが、話をしていると「現場の感じ」に合わせてどんどん変えていって構わないよ、というスタイルです。

流石プロ!のクオリティ

こういう現場はありがたくて、わたくしも家を自分でハーフセルフビルドしている手前、現場の様子に合わせて変えていく、アドリブで進める、というやり方には大いに共感するのです。

で、この庭。奥さんがメインで進めているのですが、料理がご専門の方なので食べられるものを中心にしていきたいという話。
現場で話していると、玄関アプローチは畑の中を通ったら面白いんじゃないか、とか木陰にベンチを置く、、とかアイデアが出てきてなかなかいい感じでした。

ここがどんな庭になるのか、イメージするとワクワクします

土地と施主ファミリーと一緒に共同作業で作っていく。まさに現場をベースにエタブルも混ぜながら庭を作っていく実験場になり得そうです。
まさに「その場に適した」ものを年月をかけて作っていけそうなので、これからがとても楽しみです!

ではでは!

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