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旅の記憶で、いつも濃厚な香りと共に脳裏に蘇ってくるのが、植物の影だ。

ああ、自分って異国にいるんだなあと思う要因っていろいろとあると思うけれど、その大きな一つの要素として、植物があると思う。

そして決まって、その存在を思い起こす時間は早朝だ。

早朝は、植物が主役の時間。そんな気がする。

お昼になればそっとその主役の座を人間を含めた動物たちに明け渡し、見守るかのようにそばに立つ。

夜は夜で、星や月かげの下、闇の中に隠れて息を潜ませる。

そうして早朝が近づくと、その存在の大きさを、起きているものにだけ少うし、共有してくれる。

葉っぱの独特なかたちと、幹の質感。薄明かりの中で徐々に、繊細なレースのファブリックのように、はたまた大胆な切り絵のように、浮かび上がる圧倒的な存在感。

植物って、地球上ではものすごい巨大なネットワークで、実はお互いいろんなことを共有しあってるんじゃないのかな、と思わせるような大きな呼吸を感じさせてくれるのだ。



私は旅中など、よく早朝に目が覚めると、そんな植物たちに会いに出掛けた。

英語の勉強のために短期で訪れたニュージーランドの、広大な郊外の街の街路樹。ロサンゼルスの、そこの人々に似た開放的にのびのびと成長する低木。ブラジルの大地とサンバのリズムを支えるようなダイナミックな森。北海道のぴりりとした寒さの中、生命を讃えるような細く長い木。

思い出せばきりがないくらい、脳内メモリーに蓄積されている植物の記憶。

その豊かな姿の現れを思い出すたびに、ああ、思い出って美しいな、と思うのです。


ところで、最近私はカフェインを試しに摂らないようにしてみている。
でも結局、睡眠パターンは出鱈目なままなのだけど。
そうして、時差ボケのように訳のわからない早朝に目が覚めて、植物たちの時間にそっとお邪魔し、想いに耽るのも悪くないな、と思った2024年の秋の朝です。


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