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甥っ子への手紙

大人から子どもへ伝えておきたい、”人生で大切にして欲しいこと”とか、”あなたはそのままでパーフェクトな存在で、自分を信じて進めばいいんだよ”、というメッセージ、きちんと言うタイミングはどのくらいあるだろうか。

もしかしたら、”自分は完璧だ、そのままでいい”と思っている大人は少ないかもしれない。自分のことをそう思わないと、子どもにも言えない。あるいは、大人側は普段から言っているつもり。だけど、伝わりにくいメッセージかもしれない。

今回、私は、小学校教諭になりたいという高校3年生の甥っ子に、私の考える”そういうこと”を手紙に書いた。

想いを言える大人になる

この類のメッセージは、有名な作家とか、メディアに出てくるような各界の著名人の書籍でも見かける。

だけど、やはり、その子を知る、彼ら彼女らの人生に関わっている周りの大人が、直接、真剣に伝えた方が子どもに響きはしないか。

あることをきっかけに、甥っ子の人生に少しでも関わった叔母として、そしてもっと関わっていきたいという希望も込めて、手紙を書くことにした。

その手紙をどう思うかは彼の自由。言ったことによって、めんどくさいおばさんだなとか、エラそうだな、とか思われるかもしれない。私の言葉を、彼はそういう風には受け取らないという自信はあるが、やはり投函するには勇気がいる。


昔、中学生の頃、”理想の親戚のおばさん”像があった。吉本ばななの『哀しい予感』を読んだ影響だ。将来、私の姉の子どもが姉とぶつかったら、私の所に逃げてくる、そんな場所はカッコいいなと思った。姉は常識的で少し固くて、怒るとコワイ。だから、自由奔放な私の所でリラックスすればいい。そんな風に考えた。

だが、今、こんな手紙を送ったら、何と言うか...イメージと真逆だ。頑張れって鼓舞している。でも、それが今の私が伝えたいメッセージだから、仕方ない。

歳を重ねた分だけ身を以ってわかったことを、自分の信念で伝える。勇気のいることだけど、そういうことができる大人になりたい。


手紙をnoteに書く理由

手紙を書いた目的は、学校や教師の役割について、私の考えを伝えたかったからだ。

きっかけは、将来小学校教諭になりたい彼が、イギリスの演劇教育について知りたいと言って電話をしてきたのだ。私の娘がイギリスの小学校に通っていたから、義務教育だったかを確かめたかったらしい。
電話で彼は、学校教育で必要なことやあるべき姿について、自分の考えをしっかり話してくれた。大学受験の面接で言おうと思っているが、自分の考えをどう思うか、私に意見を聞いてきた。

だから、彼の意見を聞いてどう思ったか伝えたり、面接のアドバイスなんかをしたりした(人事の仕事をしていたので、採用面接官の経験や昇格試験の面接官としての経験が役に立った)。そして、言葉の端々に私の考えも現れたが、そう考える理由までは伝えられなかったから、改めて手紙に書くことにした。彼が、これから考えを深める中で、他人の考えの結論だけ聞くのでは良くないと思ったし、彼にも失礼だと感じた。

イギリスの学校と日本の学校の決定的な違いを感じ、一時は子どもとつらい思いをした。それを目の当たりにして、自分なりに考えたことでもあるし、自分も講師になると決めてから、”モノを教える仕事”について考えてきたことでもあった。

だから、個人的な手紙だけど、国宝伝道師として活動するその根幹には、共通のものが存在すると思うので、noteを通して発信しようと思った。

オンライン教育が進む中で、学校や教師の存在意義を考えるきっかけにもなると個人的には思っている。

長い手紙。。

手紙に見出しはないが、少しでも読みやすいように、見出しをつけました。

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〇〇くんへ(文中は”anata”に置き換えて..)

「この前は電話をくれて、ありがとう。
この本が届く頃には、もう試験も終わっていますね。
結果がどうであれ、私はanataがとても良い先生になると信じることができます。
どこで学ぼうと、anataのような志があれば目指す者になれるものです。
きっと受かると思っていますが、どこに決まったとしても、その道に満足して、その提示された道を信じて進んでください。

さて、anataに送りたい本があるので送ります。瀬戸内寂聴さんの書いた絵本のような本『未来はあなたの中に』ですが、とてもいいメッセージが書かれています。大人が子どもに対して抱く期待、信頼、夢、について書かれたこの本に、私は感銘を受けました。
実は、この本はanataと電話で話した後、図書館で出会ったものです。
仕事で仏教に関する子ども向けの本を探していて、見つけました。

私がanataに伝えたいこと、私が考えていることが書かれていると思いました。この前電話で伝えきれなかったので、手紙とともに送ります。
英訳も是非読んでください。


二人の会話 〜学校での学びについて〜

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電話で、ゆうくんは、学校は、人を思いやったり、助け合ったり、コミュニケーションを育む場で、人間形成にとても重要な場所だと言いました。
私も同感です。

anataの主張である、障がいのある子ども達と一緒に勉強する意義も理解します。

だけど、あの時、私は、学校は国語とか算数とか理解社会という学問を学ぶことがとても重要で、勉強をするということが、学校における一番の目的だと思っているような言い方をしました。
そして、できる能力が様々に異なる子どもを同じ教室に集めて、その勉強するという目的を遂行できるのかが課題だと言いました。
思いやりや社会性は学校以外でも学ぶことができるから、そういう(障がいのある子供たちとの交流の)場を作るという方法も取れる、とも言ったと思います。

私がそういう風に言う理由が、正に本に書かれていることです。
学校は、人が生きていく上で、何をやって生きていくかを決めるために、あらゆる学問の選択肢を知り、自分の興味関心が向くものに出会い、学習する場なのだと思います。
仕事はどんな仕事でも、誰かが生きていくのに役に立っています。その人自身の存在も、誰かの支えになっています。
学問は、大人になるまでに、親から自立するために、自分の人生を決めるための学びです。

子どもには、他の誰でもないその子だからこそできる何かがある、かけがいのない存在で、一見、良いと判りにくいかもしれないその子どもの個性(本当は良いところ、秀でたところ)を、学校の先生に見つけてもらい、伸ばしてもらい、時にはそうだと(おまえは○○が凄いと)本人にも伝え、学ぶ方向を定めて行く場所だと思います。正に、学問も人間形成でもあります。

先生は沢山の児童を見ているから、個性に気がつきやすい立場です。親は得てしてわからないものです。比べる対象が少ないし、社会の中で生きるその子がどんな様子なのかは、家庭内では見えないからだと思います。家と学校では、誰もが全然態度が違うから、仕方のないことだし、誰もが、相手に合わせ、場所に合わせ自分を変えるものですよね。
学校は、その中で、能力という個性が見える場所だと思います。

子どもは大人が見ていると分かると、安心します。
子どもは大人が認めてあげると、輝き出します。
それは、友だちにはできないことです。
大人が導いてあげる必要があると思います。
親と違う立場で、子どもの能力を信じてあげられるのは、小学生の間は学校の先生だと思うのです。
そういう信頼関係を築くと、子どもは自然と強くなり、社会の中で生きていけるようになります。大げさなことを言えば、友達ができなくても、先生とさえ良い関係であれば、社会性を身につけ、自分なりの生き抜く力を学校で習得していくとさえ思います。
先生という仕事は、とても尊い仕事です。

私は小学校から大学まで、16年間学校に通ったけど、今、わかるのは、恩師と呼べる尊敬する先生に出会えるのは、ほんの一人二人程度、あるいは出会えない人もいるかもしれない、そんな確率だということです。
ではそれ以外の先生は悪かったのかというとそうではなく、恩師は私という生徒をよく理解してくれていた、認めていてくれたと強烈に感じる体験です。

anataは是非、沢山の子どもたちの恩師になってください。
大人になって、その恩師に連絡を取ったり何かあるわけではありません。何か感銘を受けた言葉があるわけでもありません。
ただ、ずっと心に残っている感じです。
それも人によりけり、恩師の定義も違うでしょうね。

叔母から甥っ子へ

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もし、今後、教師という職業を選ばなくても、目指していた過程で考えたことは、きっと役に立ちます。
沢山、本を読んで、見聞を深めて、思うような生き方をしてください。
私はanataの叔母さんになれて、嬉しいです。
また、こういう話ができるanataを誇りに思います。

anataが私に、自分の意見をしっかりと言ってくれたことに対し、私も私の人生経験から、今の時点で考える学校や先生の役割について、思うところを書きました。
どうか、もっともっと、自分の考える教育を模索し、追求してください。あなたの時代の新しい学校のスタイルを築いてください。

anataの思考力はもう大人と同じです。
大人との違いは経験値だけです。
言ったことなかったけど、私は大学では心理学を専攻して、絵本出版に興味があって、大学の夏休みは幼稚園で働かせてもらい、子どもの観察をしました。会社では人事に所属し、人のことを扱っていました。採用では学生の面接を沢山したし、昇給試験の面接を担当したり、社員の研修もしました。社員の相談にも乗りました。組織について会社の管理者と話をしました。退職してからは、日本美術をもっと世間に知ってもらうために講座を開いて活動しています。どうしたら、みんなが日本美術に興味を持ったり、日本や日本人の特徴を理解して、そういう国で育った自分を誇りに思うようになるかを考えたりしています。
こういう経験をした私に何か聞きたいことがあれば、いつでも言ってね。
聞かれることを大人はとても嬉しく思うものです。だから遠慮なく。

今のanataは、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんがあって、今のanataがあると思います。
家族一人一人の性格や考え方や価値観や生き方が、一人でも違えば、そして、育った環境が一つ、何か違っても、今のanataにはなりません。
だから、今あるanataは、今の家族や周りの人があってのanataです。
そのことに対し感謝を忘れずに、勉学に励んでください。

長い文章で面食らったのではないでしょうか。
勉強で忙しい時期に読んでくれたこと、感謝します。
どうもありがとう。
また、会える日を楽しみにしています。」

智子より

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