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正弦定理

-風が、吹いた-

部屋の中で、だ。
周りを見渡した。
なにかいるのか?
チリっと、かすかに熱い感触が頬をかすめた。


正弦定理(せいげんていり、law of sines)とは三角形の内角の正弦(サイン)とその対辺の長さの関係を示したものである。正弦法則ともいう。多くの場合、平面三角法における定理を指すが、球面三角法などでも類似の定理が知られており、同じように正弦定理と呼ばれている。-ウィキペディアより-


正弦(せいげん)
「まったく民衆というものの悩みとは、ちまちましたことばかりだよ」背筋を伸ばして座っている正弦。
長い黒髪をゆるく後ろで結んで、朱と白の巫女の装束に身を包んでいる。

なんにも困りごともないのに、うじうじしている人をみれば「しゃんとしろ!」と檄を飛ばす。「生きているそのことに感謝しろ!」
女をとっかえひっかえする男には「お主は馬鹿か!」と叱る。こんな男を甘やかす女にも「甘やかすな!」ときつく言う。
人の本質をついては突きまくる。
弱くずるいやつは吐き気がする。
いや、そもそも汚らわしい。汚らわしくて吐き気がする。「近くによるな」と言ってしまいたくなる。

自分は巫女だ。
祈祷をし、神の言葉を伝えたり、吉凶を占う。口寄せをして死者の言葉を伝えたりもする。
望まれれば華麗に舞うこともできる。
類まれな才能をもって生まれた自分。

「まったくどいつもこいつも」ため息をつく正弦。

昔はだよ、こんなに人は弱くなかったはずだ。
昔?いつの昔だろう。
時間の感覚などない。

この子はいつまでたっても腹をくくらない。
この椅子はまだこの子には譲れない。

命というものは本当にあっという間に流れてゆく。
仏教では輪廻転生と言って、人は死ぬとまた新しく生まれ変わるそうだ。

はて?
自分はいっこうにここから出ることが出来ない。
輪廻転生?生まれ変わる?
わたしは相変わらず正弦だ。
あいも変わらずここに座り続けている。

…なんだろう。
自分はやることがあったはずだ。
やること?いや、使命があったはずだ。

何だったのだろう。
もやもやしたものだけが胸に貼り付いて、ただただ時間が流れていく

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夏月(なつづき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の11番艦である。計画番号順では本艦の後に花月が続くが、竣工としては本艦が秋月型の最後となった。
艦名は片桐大自の研究によれば夏の月の意味。-ウィキペディアより-

秋月型駆逐艦(あきづきがたくちくかん)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦の艦級である。計画時の名称から乙型駆逐艦、各艦名から月型とも呼ばれる。日本海軍が建造した最初で最後の防空駆逐艦の艦級である。同型艦は12隻が竣工している。-ウィキペディアより-

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夏月(なつき)小学一年生
「ねえ、お母さんってば」
何度目かの言葉。母は上の空。わたしの視線にようやく気づいた母は私をみた。
「体操服にネーム縫わないといけないんだって」
母はわたしの手の体操服をじっとみて、受け取った。
縫ってくれるのだろうか。明日までに。
自分で縫えたら良かった。でもまだ小学校に入学したてのわたしには、そんな技術もなくて、そんな知恵もなかった。

「ねえ、お母さん」
『わたしの話をきいて』

父親が女のところへ去ってからの母親は、ココロがからっぽだった。
いつも違う方向をみていた。
母の作る料理は、なぜか美味しくなかった。
いや、ふたりで笑いながら囲む食卓ではなかったからかも知れない。

『わたしの話をきいて』
いつもいつも母親に心の中で訴えていた言葉。

『聞いて。聞いて。聞いて……お母さん!』

正弦23才

「うるさい!」自分の部屋で、いつのまにか眠っていた。
さっきまで書物を読んでいたはずなのに、机に突っ伏していた。

まどろんでいるといつも声が聞こえる。
『ねえ。聞いて』

今日は少し幼い女の子の声が聞こえてきた。
『聞いてよ、ねえ、ねえ』
あんまりうるさいから思わず「うるさい」と声にだしていた。

目が冷めて『ああ。またか』と思う。

「正弦様。どうかされましたか?」
定(さだ)が戸の外で聞く。
「いえ。寝言じゃ」
定は、しばらく時間をおいて聞いてきた。
「うなされていたわけでは…」
「ない」即答した。

定の戸惑いが戸越しに伝わる。

その戸惑いを静かに飲み込んだ定は「では、失礼します」と去っていった。

無理もない。
うなされることはしょっちゅうだ。ひどい時は熱や吐き気に苦しむ。

心配してくれているのだ。
しかし、その気遣いが鬱陶しい。
か弱い女のような扱いをされるのが癇に障る。

わたしは背筋を伸ばして読みかけていた書物の続きに目をやった。

その時、

-風が、吹いた-

部屋の中で、だ。
周りを見渡した。
なにかいるのか?
チリっと、かすかに熱い感触が頬をかすめた。

目を凝らした。なんの気配もなかった。
二間続きの見慣れたわたしの部屋が、見えるだけだった。


続く

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