真実という証拠 証拠という真実〜死の瞬間に回すカメラ
真実と 犯罪の証拠について考えてみた。
より一瞬の、より巧妙かつ凶悪な犯罪であればあるほど、真実は真実でなくなりやすい。証拠を残しにくいからだ。
ハーバード大学メディカルスクール勤務メディカルセラピスト、マーサ・スタウト氏によると、刑務所にいるのは「捕まる程度」の知能犯だと言う。つまり「捕まる程度」を超えた知能犯は塀の外。塀の内と外が逆転している。
今まさに、絞殺されかかっているとしよう。
両手で必死に加害者の両手を首から外したい。
どうやって自分の死の瞬間の映像を残すか?
片手でカメラを回すしかない。
そして
死んだ後にすぐにカメラを友人に回収してもらわねばならない。
そんなことを、あれこれ考えているうちに死んでしまう。
ライフルでズドン。カメラの設定?終わってる。
暗闇でレイプ?
レイプ犯の顔をしっかりと見ておかなくては。エリザベス・ロフタスのような超人気な弁護士を雇われたら、犯人をしっかり覚えていても「あやふやな目撃証言」と言われてしまう。
「証拠は?」
「ビデオカメラ動画があります。」
「カメラで写真を何枚も撮ってあります。」
必死で抵抗もしなければならない。抵抗しなければ同意したと言われてしまう。カメラの焦点を加害者の顔面に合わせ、片手両足では抵抗。なかなかのカメラテクが要る。
そんな冷静で剛腕なレイプ被害者がいるのだろうか?そんな強者 レイプ被害者としては加害者が選ばない。同上、ハーバード大学トラウマセンター設立者 ヴァン・デア・コーク氏は加害者はレイプしやすい被害者を選ぶ嗅覚を持っているという。
九段理江「東京同情棟」牧瀬沙羅が「レイプされた数学少女」でもあり「レイプされてないのにレイプされたと偽告発する数学少女」だとも疑われた(91)のはレイプ犯が偽告発だとひとの目を反対側に向けるのに成功したからだ。「強姦は強姦ではない」証拠がない限り。
浮気?不倫?ホテル?すぐバレるようなことを知能犯はしない。まさか男を家に連れ込んでやる人妻なんていないだろう。人妻の家。バレにくい。男と女が黙っていれば真実は真実でないと2人は思う。
カナダの哲学者 イアン•ハッキングは神様のビデオカメラがあれば、真実はずっと真実だ。というが、絞殺されたり、ナイフで殺されかけたりするかもしれないとカメラを前もって用意する者を神様は許してくれるのだろうか?法に問われる行為ではないのか?親族に相談して複数人数の合意でするしかない。命を守るために?正義を公的機関ではなく素人が追求すれば、悪のレベルに合わせなければ悪を見つけられない。悪は、善が悪のレベルに合わせて悪に落ち、やっと悪を見抜いた時、悪を責めるのだ。
善は普段は悪を受けるかもなんて考えて生きていない。そんな悪い人がいるなんてと思って生きている。だから騙されやすいし被害者となりやすい。
鉄砲で今日 撃たれるかもしれない。
ナイフで刺されるかも?
そんなことを考えて日々 我々は生きていない。
そんなこと起きないという前提で生きている。
カメラを常に用意して悪に備える?
それも毎日 電池充満状態で?
でもそうしなかった者が
レイプ犯をレイプ犯として、絞殺犯を絞殺犯として告発できない者となるのだ。
真実と非真実は紙一重。
真実 証拠あり =真実
真実 証拠なし=非真実
非真実 証拠あり=非真実
非真実 証拠なし=真実
「浮気してるやろ?」一刻でもはよ見つけて真実吐かせ、別れたい。時間の無駄だ。
加害者にしたら それは嫉妬=相手が悪に見える。嫉妬とは相手と別れさせよりを戻したい者の感情なのだが、自己正当化のために誤解されても致し方ない。悪のマントは盲目だ。他者の感情への共感性がなく、自分の視点しかないからだ。
しかし、人間にはこんな素晴らしい記憶メカニズムを神が備えてくれたそうだ。フラッシュバックというものを聞いたことがあるだろう。フラッシュバックは被害者だけでなく加害者にも起きるのだ。発覚していない犯罪を心の中に持つ加害者に過去の罪がフラッシュバックとして何度も何度も蘇り、夜な夜な彼を苦しめる。そしてついに自首を選ぶ「捕まる程度」の犯人もいるということだ。
それでも自首を選ばない強者。「捕まえられるもんなら捕まえてみろ」と思っている加害者は死ぬ時、そして次世代の子孫(我が子)にそのトラウマを繰り越すことになるという。納棺師の話には興味深いものが多々。そして トラウマ(罪)の同じ関係の繰越はフロイト他が解明したが、加害=被害 レイプしたら 誰かがレイプされる
必ず同じ関係が反転して 因果応報で戻ってくる。そんな同じ関係の繰り返しを「反復」という。
上手いことできてるんやなぁ と感嘆すべきか神に感謝すべきか? ハーバード大学 ヴァン・デア・コーク氏曰く 真実はしぶといそうだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?