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変態ではなく「偏体」=谷崎潤一郎の「着せ替え人形」

フェティシズム (部分遊び)
サディズム+マゾヒズム (統体ではなく、苦しめ苦しむ偏体)
同性愛 (非同一✖️非同一)
処女性崇拝 も
全部 根を同じくする非同一性の
部分遊び=
「着せ替え人形」

同一性=純粋性 に到達以前の
一つの変身の形

頭の中にある『女』の彫像」 =「青い花」に

刺青を与え
自己の理想にふさわしい「」の女「にする」
「刺青」とは「肥料
谷崎が求めているのは
「完全に画面の女になり切る事が出来る」女
なのだ =「冨美子の足

「どっちが絵で 
どっちが人間だか
分らなくなるような
体、腕、左足の親趾の突端」を持ち
(細かい💔)
「国貞の描いた女に化けてしま」える位
「生れながらにすっきりとした、
なまめかしい肢体を備えた女」=「冨美子の足」
(脚 again💦)

谷崎は
幻想の女
彼の理想
頭の中の彫像
その「女」でなければならない
という女と
一緒に外国人街を歩いている=「青い花」

その「女」が果してあぐりであるかどうかは分らないけれども、彼はそれをあぐりであると考える。少くとも、彼が愛しているあぐりはその「女」でなければならない、――頭の中のその彫像でなければならない、――それがこの世に動き出して生きているのがあぐりである。今、山下町の外国人街を彼と並んで歩いている彼女、―その着物の下にある「女」の彫像を心に描く。一つ一つの優婉な鑿の痕をありありと胸に浮かべる。今日はその彫像をいろいろの宝石や鎖や絹で飾ってやるのだ。彼女の肌からあの不似合な、不恰好な和服を剝ぎ取って、一旦ムキ出しの「女」にして…洋服を着せてやるのだ。そう思う時、愛する女の肢体のために買い物をするという事は、まるで夢のように楽しいものじゃないだろうか?

谷崎潤一郎「青い花」

分からなくもない
ありがたい話でもある
殿方にお洋服や貴金属を買ってもらう時 
その瞬間だけは
別に「着せ替え人形」となってもいい🥹
なんて婦人は思うかもしれない
「これも似合うんちゃう?」言うて
あれも👗
これも👘
買ってもらえたら
嬉しい♥️のが本音
「愛する女のために買い物をするという事は
まるで夢のように楽しいもの」
「今日はその彫像
いろいろの宝石で飾ってやるのだ」
なんて は今どきじゃないから要らんけど(笑)
なかなかではないか🤗
女性のショッピングに付き合うほど
鬱陶しいものはないと思ってる殿方が
大半だし💦
のスリップなんて 
あんなペロペロ一枚が10万越え
殿方の理解がないと買える代物ではない🤭

例えば
痴人の愛」
谷崎がナオミを好んだのは
少女から理想に育てあげ甲斐のある
谷崎の「有難い偶像
「想像通り中ったから」
好みや趣味 
タイプ♥️
ってあるからね

そして
ナオミは浮気し放題
慶應男子学生を荒らし廻ったことも
理想的ではないが 谷崎にとっては
尚更、理想❣️
苦しみに快感を
悲劇の物語がとなり
生欲(性欲?)がそそられる
女に苦しめられたい谷崎にとっては
サディスト女に 踏みつけにされることが
マスト👊
だから 
苦しみ=性欲煽られるためには
不倫が不可欠❣️なのだ
だから
」では
自分の娘の彼氏を 嫁の不倫相手
夫自ら指名
筋書きを形成
母は娘に負けるまい
娘は母に不信を抱き
娘と母の
女と女の
虚栄心の闘いを「」=「肥料」にセックスを楽しむ
そこに苦しみが介在しないと
そそられない
谷崎が
刺青を女の「肥料」と呼んだに同様
「鍵」においては不倫も肥料
現実と部分の組み替えが必須
嫁に不倫をさせ
自尊心を踏み躙られ
苦しみ喘ぐ「」を楽しむ夫
さらに
睡眠薬 😇も投入🫢
女を眠らせ 
女の理想の形態へと導き=「刺青
眠っている嫁とお楽しみ=「
永遠=死において女の足にサディスティックに
踏まれ続けることを希望する

そしてそれこそが生僕は一人の男子として生きているよりも、こんな美しい踵となって、お富美さんの足の裏に附く事が出来れば、その方がどんなに幸福だかしれないとさえ思いました。それでなければ、お富美さんの踵に蹈まれる畳になりたいとも思いました。僕の生命とお富美さんの踵と、この世の中でどっちが貴いかといえば、僕は言下に後者の方が貴いと答えます。お富美さんの踵のためなら、僕は喜んで死んでみせます。

谷崎潤一郎「冨美子の足」

谷崎潤一郎にとって
とは 眠り
であり
最高の幻想
そして
ついに
瘋癲老人日記』では
老人が愛する息子の嫁の足型を
拓本にとって墓石に彫り
その「仏足石」のもとに永遠の眠りにつくことを
夢みるだけでなく
それを現実化
いいですか?
息子の嫁ですよ❗️
これは実話になりましたが
谷崎潤一郎さんの子供さん
唖然ですよね?

予の魂も何処かしらに生きていて、彼女の全身の重みを感じ、痛さを感じ、足の裏の肌理のつるつるした滑らかさを感じる。死んでも予は感じて見せる。感じないはずがない。同様に颯子も、地下で喜んで重みに堪えている予の魂の存在を感じる。あるいは土中で骨と骨とがかたかたと鳴り、絡み合い、笑い合い、謡い合い、軋み合う音さえも聞く。何も彼女が実際に石を蹈んでいる時とは限らない。自分の足をモデルにした仏足石の存在を考えただけで、その石の下の骨が泣くのを聞く。泣きながら予は「痛い、痛い」と叫び、「痛いけれど楽しい、この上なく楽しい、生きていた時より遥かに楽しい」と叫び、「もっと蹈んでくれ、もっと蹈んでくれ」と叫ぶ。

谷崎潤一郎「瘋癲老人日記(ひらがな)

このように谷崎ワールドとは
死と生
現実と幻想
世界が完全に 
鏡像反転

幻覚がかくまで現実と一致する二重の姿
浮かび上がるダブル・イメージの世界

彼女の顔、頸、肩、腕、すべての輪廓が二重になって見え、彼女の胴体の上にもう一人の彼女が折り重なっているように見えた。

谷崎潤一郎「鍵」

そのような非同一性のダブル・イメージ
谷崎潤一郎作品内
」において
自身の喪失された半身=欠如を補填し合う同性愛関係の表現においても現れる
光子と園子というレズビアン・カップル
にとって
光子は園子
園子は光子

腕と腕とを互の背中で組み合うて、どっちの涙やら分らん涙

谷崎潤一郎「卍」

を飲み込む時
自他は融合し1つ=永遠=死に到達する
谷崎潤一郎の「卍」を読んでいると
同性愛者であるがゆえに
社会に断罪されたオスカー・ワイルドを思い出す
彼は
バルザック作品登場人物 リュシアン

この私は、ありとあらゆる邪悪な感情
あの子は、善、高貴、美、崇高

バルザック「浮かれ女盛衰記」(下)

きみは第二のぼく

—『幻滅(上)』バルザック著


彼の人生最大の痛恨事
と呼んだこと

あのせがれはすっかりおれのものだった…

—『浮かれ女盛衰記(下)』バルザック著

二人は一個の存在

—『浮かれ女盛衰記(上)』バルザック著

わしが作者で、君は芝居

—『浮かれ女盛衰記(上)』バルザック著

を思い出す

同一性に到達できなかった非同一性の補完願望

おれはひとりだった。こんどはふたりになる

バルザック「幻滅」(下)

同性=愛とは 
同一 = 
に到達できない
非同一性
非同一性の
部分が部分を求め合う
能動的 且つ 受動的 愛情
オスカーワイルドが愛した
同性愛的主人公とは
カルロス・エレーラ神父=
ジャック・コラン=
ヴォートラン=
ド・リュバンブレ(リュシアンの貴族名)=
リュシアン=
ゴリオ爺さん という
われら」

谷崎の
光子=園子 と同様
ダブル(以上) で一つ

彼女の顔、頸、肩、腕、すべての輪廓二重になって見え、彼女の胴体の上にもう一人の彼女が折り重なっているように見えた。間もなく僕は眠ったらしかったが、の中でもなお妻が二重に見えた。最初は全体として二重に見え、やがて部分々々がバラバラに空中に散らばって見えた。眼が四つ、その眼と並んで鼻が二つ、少し飛び離れた一二尺高い空間に唇が二つ、という風に…
僕はじーっとその夢を視つめていた。右の足が二つ、左の足が二つ、水中にあるように浮遊している… 足と並んで、足の裏がまた別に浮かんでいた

谷崎潤一郎「鍵」

谷崎潤一郎
フェティシズム (部分遊び)
サディズムもマゾヒズム (苦しめ苦しむ偏体)
同性愛 (非同一
✖️非同一)
処女性崇拝 

全部 根を同じくする非同一性の
「着せ替え人形」遊び 
同一性=純粋性 
に到達以前の
一つの変身の形

水中で万物が万物に化け
水中の〇〇は現実よりも美しい 
着せ替え人形」とは
 お「」の世界の非同一性のお遊び
=「」なのだ

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