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”The Tailor Re-tailored" 衣装「哲学を哲学」する

私の言葉は 私の言葉ではなく
トーマス・カーライル
(Thomas Carlyle)
氏による言葉の
簡略バージョンに過ぎず
また
彼の言葉は
ドイツの学者 Diogenes Teufelsdröckh
ディオゲネス・トイフェルスドレック教授の
訳解に過ぎない
即ち 誰の言葉でもない
沈黙は金なり

「衣装哲学」など難解な書物の説明を
出来るだけ簡略化して行うこと
これを成し得ることが
教育者としての役割かもしれない
と思ってきた
しかし
「衣装哲学」を
シンプルに迫ろうとすればするほど
「危険」を感じる
それは
ラカン
「あなたの著書は難解で分かりません」と
言われた時に
「当たり前だ わからないように書いてるからだ」
と応えたのに等しい
そして
それはトーマス・カーライル氏自身も感じたこと
彼の「衣装哲学」は
彼の著書
意見ではない

トーマス・カーライル(Thomas Carlyle)による
「衣装哲学」は
正式名
“Sartor Resartus: The Life and Opinions of Herr Teufelsdröckh ”
『サートー・リサータス――トイフェルスドレック氏の生活と意見』

ドイツの学者 Diogenes Teufelsdröckh
ディオゲネス・トイフェルスドレック教授
(=「神から生れた惡魔の糞」の意)
訳解を行った著者が
トーマス・カーライル氏であり
その訳書が「サートー・リサータス」=「衣装哲学」

“Sartor Resartus“
「サートー・リサータス」 とは
とは
The Tailor Re-tailored"
「仕立て直された仕立屋」

「衣服」を剥ぎ取り
の事実をみてみようという
危険な試みなのである

盲目的な思い込み
文化・社会的通念
宗教儀式…
政治 経済形式に至るまで
全ては 衣装
時の衣 に過ぎない

全ては
アポロン的なものと
ディオニソス的なもの
天使と悪魔を含み
目に見えない秘匿と
顕現=啓示
目に見えないものを
目に見える何かで
繋いでいる
非同一性のオンパレード
十字架はキリストだろうか
大聖堂は…
あの詳細ことごとく決定された宗教儀式は
神であろうか
それら全ては
象徴=衣装にすぎない

考えてみよう
マルクスが指摘した交換原理の不平等性を
皆が意識し出したら
資本主義は立ち行かない
しかし 考えることには意義がある
まずは黙るのだ
皆が知る格言
沈黙は金なり
とは
カーライルの「衣装哲学」での言葉である

英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著せり、余は反って活力を弔う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲く音、物の転がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人我説をきかば笑うべし。

夏目漱石「カーライル博物館」


皆 表面的な事物ばかりに目を取られ
ことの真相を理解しようとする前に
お口が走り
ペラペラ ペラペラ
カーライルは沈黙は言語よりも神聖なるものと
説いている
善人は他者の悪口を吹聴しない
悪人は他者の悪口を拡散する
従って世に出回っている中傷は
悪者による悪口
嘘つきの嘘
全て 不思慮
それ 
即ち 
悪人の糞
=縋りたい神=天使の羽
人が如何なる宗教を奉じ
何に縋ろうとしているのか
何を信じたい
何を神としているか
こそが
その人にとっての一番の関心事、
重要な事柄ということだと
カーライルは別稿 「英雄崇拝論」でも書いている

ハンナ・アーレント
善は表立った時には善ではなく
表立った悪は悪ではない
善は語らず
悪は雄弁であると言った

内に住んでいる惡魔
その贖罪としての神
それ即ち衣装なのだ
考えてみよう
フロイトが
誘惑理論を世に暴露し
アカデミズム
医学界
社会全体から追放された時
アカデミズムは
医学界は
社会全体は
何の衣装を着て
何に縋ろうとし
何を畏れたのか
今の我々は有名なフロイトしか知らない
しかし
彼は完全ボイコットに遭い
職も失った

この不快な「アウトサイダー」に対抗して一致して防禦したのは、大学だけではなく、また旧式な神経科医の一味だけではなかった――それは全世界であり、古い世界の全部、古い考えかた、道徳的「因襲」であり、それは彼の暴露を恐れた時代の全体であった。徐々に彼に対する医学界のボイコットが結成され、彼は患者を失った。

—『昨日の世界2』シュテファン・ツヴァイク著

誘惑理論=エディプスコンプレックス
周知のこととは思うが
フロイトが唯一 
持論 である「誘惑理論」に「衣装」を着せて
エディプスコンプレックス」として
自分を守るしかなかった有名な理論だ

カーライル 否
ディオゲネス・トイフェルスドレック教授
=「神から生れた惡魔の糞」氏に
分析を預け

フロイト エディプスコンプレックスの
衣装を剥がし、裸にして
考えてみよう

まずは
「全世界であり、古い世界の全部、古い考えかた、道徳的「因襲」であり、それは彼の暴露を恐れた時代の全体」が
何の暴露を畏怖したのか
当の誘惑理論である
誘惑理論が誘惑理論であることを隠蔽したいため
社会は彼を潰した
諸外国ではこう言う時
Mother Fucker
とか言うらしい
がこう言う言葉は表立って言ってはいけない

エディプスコンプレックス
とは
子 から 親(大人)への
=Fuck You というファンタジー であることを
=OH My GODと 神頼みする
=BULL SHIT 糞=戯言

誘惑理論
(大人)  から 子 を誘惑 You  Fuck
GOD は死んだ(ニーチェ)は
BULL SHIT ?

とでも言うのだろうか
こうして 
エディプスコンプレックスの衣装を
着せたが故に 
フロイトは一世を風靡し 
彼の理論はこうして後世まで伝わっている

トーマス・モア
ユートピアを
ou, 無い = eu良い topos, 場所
「素晴らしく良い場所であるが 
どこにもない場所」
と定義した
ない=よい

これらBULL SHIT は
私の言葉でもなく
カーライルの言でもない
ディオゲネス・トイフェルスドレック教授
(=「神から生れた惡魔の糞」の意)
の戯言 「惡魔の糞」に過ぎぬ
ここはユートピアだからだ

上記写真は
夏目漱石が訪問したチェルシーの
カーライル博物館である
現在 ナショナルトラストに管理されている






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