誰が為に鐘は鳴る を簡単に
ゲイリー・クーパー演ずるロベルトと
イングリッド・バーグマンによるマリアによる
あのエンディング
是非 見ていただきたい。50:00よりどうぞ❤️
マリア 聞いてくれ
アメリカには行けない
だが君と俺はいつも一緒だ
君が行けば俺も一緒だ
我々は一人なんだ
いやよ一緒にいるわ
君は残れないんだ
君が行けば俺も一緒だ
2人のために行ってくれ
愛は決して消えない
ここに残る方がいいわ
辛いのは分かる
でも君は俺なんだ
君が生き延びれば
俺も生きる事ができる
君の中には俺がいるんだ
我々はずっと一緒だ
君の中に俺は生きてる
さよならじゃない
俺は君の中で生き続ける
if thou goest then I go with thee.
It is in that way that I go too.
As long as there is one of us
there is both of us.
But I am thee also now.
Now you will go for us both,
You are me now,
Surely thou must feel it, rabbit.
Truly thus I go too.
The me in thee.
Now you go for us both.
Truly. We both go in thee now.
—『For Whom The Bell Tolls』Ernest Hemingway
死しても他者に生きる=愛
愛は強し?
コロナウィルス
予防接種
マスク で壁を作り
ウィルスを外化し
徹底防御
自己愛はウィルスに喰われぬよう
外化し壁を作る
他者を物=ウィルスかのように物質として
二項対立化
ひとはひとに対して
不信になり
凶暴化した
自分の体を構成する細胞をすべて数えたら
のにだ。
つまり
愛とは
他者に内在化し
共存することへの悦び
英国エリザベス朝詩人
ジョン・ダンによると
愛とはある意味 「食い」殺され一緒になること
他者になること
蚤に血を吸われ
主観も客観も失われる状態
エリオットも絶賛、当時大流行したこの詩「蚤」
とはエロス=生命=愛=セックスの象徴でもあり
当時は
ペスト=自然の象徴でもあった。
この蚤を殺してはいけない
僕と彼女と蚤の三つの命の死を意味するからと
ジョン・ダンはいっているのだ
コロナの時代 我々は他者に優しくできただろうか
神に近づくということは
同質化 一体化すること
自然の一部となること
他者を愛すると言うことは2つの性が一体化し
一つの中性になること。 一度死に蘇ること
恋は盲目
恋に堕ちたら
自らは喰われ(吸われ)
もはや
喪失されている
だから愛とは「逆説」
愛している
恋している
とは言えぬもの
死者に口なしだからだ
だから鐘は誰のために鳴るともなく鳴るのだ
「誰がために鐘は鳴る」ヘミングウェイの小説の原題はこの詩人 ジョン・ダンの詩から来ている
コロナもペストも愛も
同じ食い喰われるこの世の慣わし=自然
最期にロベルトが死すとも
誰が死すとも
同じなのだ。
ロベルトはもうマリアの中に生きている
ロベルト=マリア だからだ
You are me
The me in thee.
あの鐘は誰のため?
誰が為に鐘は鳴る?