落語
小学校に上がる前、よく父親に連れられて上野の『鈴本』に寄席を見に行っていた。ずいぶん喜んでキャッキャと笑っていたらしい。子供にとっては難しい言葉もあったはずなので、どこまで私が理解していたのかは不明である。ただ、会場の「異世界感」と、くるくる変わる噺家の表情や声色は好きだったように思う。
今でも落語は好きだけれど、わざわざ見に行ったりラジオで聞くようなこともないし、たくさんの噺を知っているわけでもない。こんな身分で落語のことを書いては、"通"に怒られてしまうかもしれないが、私なりに「好き」は「好き」なのである。
特に、私は桂歌丸さんの落語が好きだった。「どの噺が?」ときかれても困ってしまうのだが、強いて言えば、歌丸さんが落語の中で女性を演じる時が好きだった。亭主を叱り飛ばしたり、男に色目を使ったり。若い娘からお婆さんまで、歌丸さんが演じる女性は、どれも色っぽかった。座布団の上に座っているのはどう見たって「おじいさん」なのに、ひとたびはなし始めれば、しなやかな女性の、着物の抜き襟から覗く細い頸(うなじ)が見えるようだった。
それはひとえに、歌丸さんの芸に備わっている「品」がそうさせているのだと思う。ここで言う「品」とは、芸に対する歌丸さんの「誠実な姿勢」と同義である。流行りを追いかけず、基本を大切にする真面目な姿勢が、落語を逸品にしていた。
歌丸さんが亡くなってからもう3年が経った。もしも今の世界を見たら、歌丸さんはどんな気持ちになっただろう。少なくとも、世界がいくら変わろうと、常に基本に忠実に、芸を磨き続けていることは確かだと思う。