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最近死について考えてなかった

きっと、平均よりも死について考えてきた人生だと思う。
ただ単に恐怖もあり、同時に純然たる死の神秘に対する好奇心とか、生への疑問とか。

最近は自分が老いる事には敏感であってもその先の死についてあまり考える時間を持てていなかった。何でだろう。

おかげさまで仕事が無くなった代わりにたくさんのお金で変えない時間が私の手中になり、考える機会はたくさんあったはずなのだけど。
自分では意外なほど、この状況だからこそ「この世界」ばかりを見ていたのかもしれない。

生と死はどちらが無くても成り立たないし、死は生の一部だ。
自分がそのどちらかの極に取り込まれる、というよりも、どちらの要素も常に自分と共にいる、というか。
身体の髄から理解したくて、自分なりにストンと落とし込ませたいと思っている。死んだ経験がないから、だからこそきちんともっと考えたい。

以前から宗教に興味がある。
特定の宗教というわけでは無くて、哲学としての宗教に強い関心がある。
なぜ人は信じるのか、頼るのか。
きっと人は人生のストーリーに沿いたくて、沿って生きたくて宗教を信じるのか。

そのシンキングのプロセスの中に祭壇のイメージがいつもある。
昔から私の絵の中には祭壇がモチーフとして描かれてきた。
祈る場所であり、死ぬ場所であり、生きる場所であり。
なぜ自分がこれほど祭壇というモチーフに惹かれるのか、よく考える。

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ラフスケッチ:下向きの犬のポーズと私の部屋の祭壇

ここ数日、以前読んだ本を読み返している。

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ジャーナリストの筆者が、自分の父の死をきっかけに世界中の死と葬儀のあり方を取材し、まとめている。

葬儀のあり方は、国や文化や宗教によって本当に多様である。儀式だけでは無くて、人が死をどう捉えているか、どう反応をするかが描かれていて非常に興味深い。死は悲しいだけではない。

死はコントロバーシャルなサブジェクトとして話題にあまりのらないけれど、もっとオープンに話ができればと思う。私は死について考え、死について生について絵として表現しなくては。




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