きっと、平均よりも死について考えてきた人生だと思う。 ただ単に恐怖もあり、同時に純然たる死の神秘に対する好奇心とか、生への疑問とか。 最近は自分が老いる事には敏感であってもその先の死についてあまり考える時間を持てていなかった。何でだろう。 おかげさまで仕事が無くなった代わりにたくさんのお金で変えない時間が私の手中になり、考える機会はたくさんあったはずなのだけど。 自分では意外なほど、この状況だからこそ「この世界」ばかりを見ていたのかもしれない。 生と死はどちらが無くても
大切なことを見逃しているのでは無いかと不安 以前から漠然とある、本当は一番大切な事が見えていないのではという不安。 一生懸命考えて、面白いことも時には面白く無いこともやって、忙しくて、でもごくたまに忙しくなくて たくさんのビーズが人生に散りばめられていて万華鏡のように色形を常に変えながら私はそれに魅了されたり、翻弄されたり、疲弊したり でもそこに中心がなくて、どのピースも本質ではなくて、私はどこかで本当に大切なものを見逃して生きているのでは無いかって不安。 本当はそん
10代、20代の頃は自分がルールだと本気で思っていた。あの自信はどこから来ていたのだろう。これが私よ!素晴らしいでしょう! 出来ないことは無いって本気で思っていた。 今でもある意味、そう信じている。でも、知らず知らずのうちにため込んでしまっている社会の常識や「こうであるべき」的概念。一番嫌いだったはずなのに。そんな「こうであるべき」「こうじゃなきゃ」が皮膚の上に蓄積されて硬化してるみたい。その硬化した皮膚が邪魔してうまく呼吸できない感じ。苦しかった。今も苦しい。 パンデ