Post-it! 気になる一曲 『ロ短調ミサ曲 BWV232 第12曲《精霊とともに》』

Johann Sebastian Bach
Bernarda Fink, Matthias Goerne, etc.
René Jacobs: Akademie Für Alte Musik Berlin, RIAS Chamber Choir


このところ、バッハの「白鳥の歌」(従来バッハの遺作は『フーガの技法』とされてきたが、最近の研究?では違うそうだ)である『ロ短調ミサ曲』を聴いている。
その入り組んだ制作事情に加え、様式も古様式から当世風とさまざまであること、なによりキリスト教という日本人には馴染みがない文化的土壌を背景にしているという点が決定打となり「とっつきにくい」印象を持たれがちな作品ではあるが、実際に聴いてみると、一曲一曲が実に個性的で完成度が高いことに気がつく。それもそのはず、自身の過去作品の中から、後世に遺すべく気に入ったものを引用・改作するなど『ロ短調ミサ曲』は、まさにバッハ音楽の集大成となっているのだ。

一聴して気に入ったのは、第12曲の《精霊とともに》だ。バッハは1733年、ドレスデンのザクセン選帝侯アウグスト強王の皇太子であるフリードリヒ・アウグスト2世に宮廷作曲家の称号を請願するが、その請願書とともに提出されたのが『ロ短調ミサ曲』の〈キリエ〉と〈グローリア〉のパート譜だった。その〈グローリア〉を締め括るのが本曲だ。絢爛豪華で爽快なこの曲は、ロ短調ミサ随一の「キャッチーな」曲だと思う。

幾重にもかさなる壮麗な合唱。それを華やかに彩る弦楽・木管・金管・ティンパニ…。注目すべきはトランペットの響きだ。
当時のトランペットにはバルブが付いておらず、正しい音程を出すには熟練の名人芸が必要だったそうだ。そんな訳でトランペッターは破格の給与で遇されていたというが、なかでも凄腕トランペッター、ゴットフリート・ライヒェ(ウルトラC難度のトランペットソロパートのある『カンタータ BWV51 全地よ、神に向かいて歓呼せよ』は彼のために書かれたそう。私はこの曲が昔から大好きだ)の逸話は衝撃的だ。

1734年の10月に選帝侯フリードリヒ・アウグスト二世一家がライプツィヒを訪れた際には、一家が泊まっていた市庁舎前広場のアーペル館──現在も残っている──の前で、バッハ率いるコレギウム・ムジクムを主とした楽団が、選帝侯のポーランド国王即位一周年を祝う祝賀カンタータ《おのが幸を讃えよ、祝されしザクセン》BWV215を演奏した。大学生による松明行列も行われ、駆り出された人数は600人以上にのぼったという。67歳と、当時としてはかなりの高齢だったトランペットの名手ゴットフリート・ライヒェが、松明の煙がたちこめるなかで難しいトランペット・パートを演奏したことで体調を崩し、翌日心臓発作で急逝してしまったのは、バッハにとっては痛手だった。
加藤浩子著 バッハ「音楽の父」の素顔と生涯 平凡社新書(電子書籍版)2018年より 

なんと演奏がもとで亡くなってしまうとは…。
当時バッハの高い理想に応えられる歌い手・演奏家はなかなかいなかったようで、ことあるごとに不満を述べていたバッハだったが、ライヒェはバッハの理想を具現化できる類稀なるプレイヤーだったのだろう。ライヒェの肖像画が残されているが、いかにもトランペッターといった、いい風貌をしている。ライヒェ自身が作曲した曲も何曲か残されているそうだ。そちらも聴いてみたい。