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人間の生きる技〜数学教師の鬼板書から伝わってきたもの〜

ジンベイザメの寿命は150年くらい、
ミジンコは1か月。
ミドリムシやアメーバは地球上に生まれてから
ずーっと細胞分裂し続けている。

ジンベイザメは長生きしている実感があるのだろうか。
ミジンコは自分の短命さを嘆くのか。
アメーバやらミドリムシの前世の記憶ってどうなっているのだろう。

ヒト以外の生き物は、淡々と生きることを全うしている。

私たちのように、ちょっと脳みそが大きいと余計なことを考えてしまう。
しかしまた、モノの捉え方1つで劇的に変化・進化するのも人間。

そのバランスをうまく取ってくれるのが「感覚」なのではないだろうか。

頭でモノを考える前に、まずは感覚、直感で捉える。
想像だけど、全ての生物は、そもそも感覚、直感を働かせることにより生き延びてきたんじゃないだろうか。

生き物の中で、人間だけが極端に発達した脳みそを持っている。でもその割には、私たちは他者と出会ったとき、未だにまずは直感で捉えることから始める。「まずは思考で捉える」としていないことが、人間を機械に置き換えることのできない大きな理由の一つなのではないだろうか。

長い人類の歴史の中で身に付けた生きる技。
感覚と思考の組み合わせの妙のおかげで、人類はアメーバやミドリムシ的に、ある種「細胞分裂」し、日々新たな気持ちで生き続けてきたのかもしれない。


ギガスクール構想

先日、デジタル庁の知人から、ギガスクール構想に関するアンケートが回ってきた。

高校2年生にあたる(実際には退学しているので高校生ではない)末っ子の回答は以下:

ICTを活用した授業は、紙や黒板主体の授業とは指導方法が全く変わると思います。ICTの活用に合わせ、授業の方法やスタイルを確立することが、まず必要ではないでしょうか。

長い年月をかけて培ってきた紙主体の指導方法の蓄積を生かしながら、ICT用にカスタマイズすることを、まずは優先的にやるべきではとの意見。ごく当たり前の意見だが、わざわざこれを書かなくちゃならないことから、現場はかなり混乱していることが窺える。

*ギガスクール構想では、2021年度末までにすべての公立の小中高に、1人1台の端末を整備する見込みであると、さきほど知りました。すでに地域によっては先生方のご準備も進んでいるのかもしれず、うちの子どもたちやその周辺の学校の状況だけでは、現状の把握が難しく、実際にどうなのか、は正直わかりません。ぜひお詳しい方のお話や現場の方の状況を伺いたいところです。


代数幾何のS木先生

高校時代の恩師の一人に、代数幾何(今は数ⅡBというのだろうか)のS木先生がいた。

背が低く痩せ型で、見るからにすばしっこい雰囲気。いつもちょっと大きめのスーツに身を包み、カツカツ音を立てて板書する。とにかく、ものすごい高速で板書するので、ノートに写すのがやっとだった。(多分黒板4枚分くらいは書いていたと思う)

講義もかなりの早口だった。

「ベクトル棒」と生徒たちが呼ぶ棒で板書を差しながら、途中「わかりますか?」という具合に、大きなギョロ目で教室を見渡す。睨まれたら石になりそうで怖かった。

S木先生には悪いけど、数学苦手な私にはかなり苦痛だった。でも、板書を写すのに必死だったせいか、代数幾何の授業で寝た記憶はない。

鬼板書で伝えたかったこと

今思えば、S木先生は、あの鬼のような板書で、知識としての数学だけでなく、数学への愛や探究心、こだわりみたいなものを伝えようとしてたんじゃないか。

それは、口でいくら言っても伝わるものではない。 
それこそ、背中を見て生徒自身が感じる部分だろう。

もしかしたら、先生自身も気づいてないかもしれないが、実はそういった見えない部分こそ、先生のもっとも伝えたかったことなのではないだろうか。

そしてそれらは、人生を豊かにし、慈しむための「生きる技」だといえるのではないか。

AI社会での「生きる技」

これからギガスクール構想もどんどん進み、オンライン授業もipadも普通になっていくだろう。そのとき、S木先生のような学問への「熱」や「愛」を、「生きる技」としてどう伝えられるのかが、鍵になってくるように思う。

目には見えないそういったものは、同じ空間で時間を共有していれば、かろうじて感じることができる。そのとき何も感じられなくても、私のように自分の子どもが高校生になるような歳になって初めて、ありがたみを感じられる、ということもあるかもしれない。

時間差があるにせよ、「数学愛に満ち溢れる人の生き様」を垣間見ることは、数学が苦手な子どもであっても大きな意味があったように思う。

そのようなことの積み重ねが教育の真骨頂だと思うし、それが何らかの形で生かされなければ、ギガスクールどころか、そもそも学校の意味もなくなってしまいそうな気がする。

これからのAI社会、目に見えない「生きる技」を如何に子どもたちに伝えるかが、大人のミッションだと思わずにはいられない。

私たち自身の仕事のあり方や働く意義などに関しても、そういった観点から今一度見直し、常々仕切り直ししつつバージョンアップしていきたいものである。

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