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経済活動の原点を考えていたら、MacBookが2台続けて壊れた話
ふと思った。
経済と身体の感覚って全く関係ないなーと。
例えば、景気の動向や、株価の上がり下がりが人の気持ちや精神的なものから大きく影響を受けるのは分かる気がする。
けれど、もっとプリミティブな「感覚」の話になると、そこは経済には全く左右されてない気がする。
会社の資金繰りが厳しくても、子供の学費の支払いに悩んでいても、庭に降りれば花の匂いや果実の付き具合にいちいち喜べるし、掃除した後の爽やかさは心地いい。
経済って、意外にというか、全く、人生や日常を感知する感受性に影響しないのではないか。
そんなふうに思ったのだ。
そこで貨幣や流通が、そもそもどうして始まったものなのかをちょっと考えてみた。
*素人のいい加減な推測と思い込みなので、専門家の方、目を瞑っていただけるとありがたいです(苦笑)。
交易のきっかけって何?
縄文時代のような通信や情報が全くない時代であっても、離れた場所にいる人同士、交易した形跡があると聞いたことがある。しかもかなりの距離を移動したと。
そもそも人は、最初から交易しようと思ったのだろうか。
それとも、ただ遠くに行ったら何があるか、どんな人が住んでいるのか、まずは自分の目で見てみたかったのか。
私は間違いなく後者だと思う。
そして、会ったことの無い誰かのために、一番手の込んだ物を作って持っていったのではないだろうか。
最初は、出会った挨拶がわりに物をあげようとしたのかもしれない。もしくは、物を交換しようとしたのかも。もしくは、万が一都合が悪いことになった時に、うまく収めるために、物をあげようとしたのかもしれない。
いずれにせよ、おそらく偶然、物々交換は始まったんだろう。そこから貨幣ができていくのは自然な流れだったのではないだろうか。
経済活動の原点
貨幣は流通の道具でしかない。だから今でも私たちの身体は、他の道具ーー箒や金だらいや鍬や包丁のようなーーと同じく、貨幣に特別な感覚を覚えることはないのかもしれない。感情は別として。
経済活動の始まりは、人の交流への衝動であり、損得勘定はそこに入る隙が無かった筈だ。
であれば、今だって私たちは、違う場所で違う空気を吸って生きている人たちとの出会いを、衝動的に求めていると言えるのかも知れない。
そして、それが経済活動の原点であるとすれば、
異邦人との出会いは経済成長の第一歩じゃないだろうか。
そこには損得勘定とは無縁の、純粋に出会う楽しみがある筈で、そういった純粋な出会いの方が、逆説的だけど、結果、利益を生み出す可能性は高いのではないかと思う。『スマホ脳』のアンデシュ・ハンセン博士によれば、私たちは未だに狩猟採集民と同じ脳みそで生きているのだから。
共感がなぜ大切なのかは、これで一目瞭然だ。
もちろん、そこには感覚が大いに働くだろう。
MacBookも洗濯機も
というようなことを考えていたら、昨日MacBook Proのバッテリーがやられ、電源供給もできなくなってしまった。
同時に、洗濯機もセンサーがイカれた。
今朝、ようやく手洗いで洗濯して、馬鹿力で洗濯物をぎゅうぎゅう絞り、ベランダで干した後、サブ機のMacBook Airで仕事しようと立ち上げた。
しかししばらくすると、今度はMacBook Airから焦げ臭い臭いがし、ブラックアウトしてしまった。
2日続けてMacがやられたのは今回が初めて。
そしてご丁寧に、洗濯機はじめ他の家電までやられている。
うーん。この往復ビンタの連打は一体何??
「いい加減リアルに交流しなよ」「何かあるかも、面白い人がいるかも、という衝動に素直に従えば?」ということなんだろうか。
「身体を張ってやらないと、何も動かないよ」という忠告なのかもしれない。
それにしても、ここまでやられると逆にハラが座ってくる。
純粋に手洗いの洗濯は楽しかった。
企画書をほぼ手書きで仕上げようとするのも、久しぶりすぎて新鮮だった。
文明の利器ってすごいな〜と思う以前に、身体を十全に使ってひとつひとつ仕上げていくことが、こんなに楽しいことだったんだってことに、じんわり感動している自分がいる。
大袈裟じゃなく、なんだか人生変わりそう(笑)
そして、もう何が壊れても怖くない、多分(笑)
壊れたMacBookの生還を待ちながら、
やっぱり未知との出会いはどんな時代でも大切だと思い知ったのでした。