書きたい自分と、書けない自分を観察する
勝手にnote10日間チャレンジ2日目。
昨日はnoteお茶会を見て、大作を狙わずに発信をとにかくやり続けてみようという話を書きました。
今日は、一体何が「書くこと」「発信すること」のハードルになっているのかを紐解いてみた話。仕事のパートナーの亜子さんにコーチングをしてもらって、なぜ発信することにためらいを感じているのかを聞き出してもらいました。
そもそも、何を発信したいんだろう
本業として家庭料理レストランを経営していて、最近はこころ部も立ち上げて、体も心も健康に生きられることをサポートすることが私の生きがい。「ご自愛から始めませんか?」という提案をしていきたい。ご自愛できる人が多くなって、そういう人たちと「やさしさが連鎖する経済圏」を作っていくことが私の願いです。
「ご自愛」とか「やさしさ」っていうのは技術だと思うんですよね。性格とか人柄とかの話じゃなくて、一種のスキル。学んでいけるものだと思うのです。
世の中は、だいたい全て自分の解釈でできていて、どう物事を捉えるかによって自分の人生って決まってくるな〜って。だから、ご自愛スキル的なことを探求したいし、ご自愛しませんか?みたいなことを発信していきたいんだなと気が付きました。
どんなトーンで発信したいのか
何が発信したいのかって軸が見えてきたら、次にどんなトーンで表現していきたいのかを観察。書きたいことがあっても、なんだか発信に抵抗があるってこと、結構ある気がするんです。
私の場合は、自分のトーンやニュアンスが文章によってうまく表現できない気がしていて、筆が止まってしまう。
自分の感情や脳内を整理するために、基本的に毎朝ジャーナリングをして、文章を書くことは毎日呼吸をするように自然にしています。ジャーナリングは書く瞑想とも言われていて、本当に書くとスッキリする。日課。
書くんだけど、それを発信することに抵抗がある。
でも、最近ラジオを初めてみて、そっちはスラスラ進むようになってきたんですよね。喋るのはやりやすい。書くことが難しい。
そこで亜子さんに言われてハッとしたのが、「ユーモアの部分」ってこと。発信したいことが真面目なことってことが多いんだけど、それはユーモアをプラスして成立することのような気がしていて。真面目なことを真面目に伝えても、届かないんじゃないかな、とか。
喋りだと、言い方とか言葉選びとかで、なんだかんだユーモアを交えることは簡単。だけど、文章でそれを表現することができなくて、なんか自分が書く文章を外に出すことに違和感があったことに気が付きました。
気が付いたからっていきなりユーモラスな文章が書けるわけじゃないんだけど、違和感に気が付いただけで、かなりスッキリ。表現していきたいトーンが見えて少し光が見えました。
っていう全くユーモアのかけらもない文章で、今日はおしまい。お付き合いいただき、ありがとうございました〜!