noteを書き続ける力をつけるために

昨夜、noteお茶会がtwitterライブで配信されているのをみて、ふと気になってクリックしてみました。

その日の朝、お店のメンバーとミーティングしている時に、「noteを書いては消しを繰り返して、、結局あんまりアップできていんだよ〜〜〜〜〜」と言い訳をしていた私。

チームの施策の一つとして、「ともこの脳内垂れ流し」というモノがあって、発信を強化することが課されているのに・・・お店の代表である私が自ら、脳内ならむ、言い訳垂れ流し状態。

リアルでのつながりが途絶えている今、発信力を強化したい、けど、うまくできず苦しい、という人は少なくないんじゃないかな。飲食店を経営している身としては、お店さえ開けておければ、そこでつながりは日々生まれていったけど、今みたいにお店が開けられないと、発信できなければ、なんのつながりも生み出せない・・・誰の役にも立てない。そんな日々。

そんな方々に、私が救われたnoteお茶会での言葉をいくつか紹介。

消費は他人のもの、創作は自分のもの

他者に消費してもらうものとしてnoteを捉えずに、自分のものとして創作をしてもいいのか、と思えた。

どこかで「この情報は誰の役に立つの?」とか、「こんなことを書いても独りよがりすぎるんじゃないか?」とか、いろんな声が出てきて、下書きを書いては消して、を繰り返しがちな私。

みんなに価値を感じて欲しいとか、誰かに届いて欲しいというエゴを持っちゃっているから、自意識過剰くんが顔を出して、手を止めているのかもね、と滑稽に思えてきた。

正々堂々と、独りよがりでも、書きたいことを書けばいいんだよね。


いきなり大作を描こうとするな

これな。ほんとな。

大作なんか書けるわけがないのよ。みんなが「素晴らしい!」と言ってくれるものを書けるはずがない。サッカーでいうなら、まだドリブルもろくにできないのに、試合で活躍しようとしているようなもの。

書いて書いて、書き続けて、鍛錬し続けた先に道が開けるかもしれないし、その修行中に誰かがたまたまクリックしてくれて、誰かがたまたま面白いと思ってくれるかもしれない奇跡が転がっているかもしれない。それぐらいで十分。


やり続けないとポジションは確立できない

一番大事なのはこれで、noteさんはこんなにも色々な形でユーザーが躓きにくいようにサービスを設計してくれ、励ましてくれてるんだから、本当にとりあえずやり続けよって思えました。滑った記事が何本あろうが、別に何もマイナスはない。大作は書けないけど、やり続けることだけは、今の私でもできる。

ということで、勝手に10日間noteチャレンジ。今の私には、何がなんでも書いてみ、アップしてみる、書き続けられた!という成功体験が必要だから、今日から10日間、毎日1本あげてみます。

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