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ポストモダンダンスと偶然性とか無意識とか

イザドラ・ダンカンとマーサ・グラハムに焦点をあて、ざっくりとモダンダンスを追ってきました。

そこからポストモダンダンスに話を繋げていきたいのですが、これがなかなか難航しております。

ポストモダンダンスはモダンダンスの後にでてきた舞踊形態で、モダンダンスの作品形態を否定したり、ダンスを再考するためにメタ・ダンスな実験的創作が行なわれていた1960年代から1970年代のアメリカのダンス動向。

簡単にいうとそんな感じ。ただ思想や芸術動向が複雑に絡み合い、調べてるとあれもこれも気になってきて、整理がつかないままとりあえず書き進んでみます。

まず「ポスト・モダンダンス」と「ポストモダン・ダンス」という考え方があります。はい、すでに何のこっちゃですね。

「ポスト」は「〜以後」という意味があり、「ポスト・モダンダンス」はモダンダンス以後ということになります。
「ポストモダン・ダンス」はというとポストモダンのダンスです。

ポスト・モダンダンスとされるのはマース・カニングハム(1919〜2009)で、彼はマーサ・グラハム舞踊団のダンサーとして活動したのち実験的な創作を行うように。モダンダンスの物語や感情を重視した作品に疑問を持ち、日常的な動作で抽象的なダンスを振付したり、コイントスやサイコロで順番、人数、構成などを決定する偶然性の手法を取り入れたり。また各要素の独自性のためにダンス、音楽、美術が同時にしかし無関係に舞台上に置かれたり。

そのカニングハムの日常的動作や実験的創作を採用しつつ、後に続いたのがジャドソン教会で公演を行っていたダンサーに代表されるポストモダン・ダンス。ポストモダンについては後述しますね。

両者のわりと大きな違いはダンスをする身体の捉え方で、カニングハムはあくまで訓練を受けたダンサーに拘り、ジャドソン教会ではダンスのプロもアマチュアも人種も性別も関係なく参加していたということがあります。

まとめると、ダンスが物語や音楽に依存せず、身体と動きそのものであることを追求。日常動作を振付にした。また振付家の特権的立場をなくしダンサーと平等に創作することを目指す、作品上の焦点の平等も図るため主役的役割や正面性をなくすなど、ダンス構造の改革に加え、ダンスをする身体の定義を広げていったのがポストモダンダンスといえます。カニングハムから始まりジャドソン教会で発展という感じでしょうか。ややこしいですね。

カニングハムにもジャドソン教会メンバーにも影響を与えていたのが、現代音楽の巨匠ジョン・ケージ(1912〜92)です。コイントスなどを使用した偶然性の手法・チャンスオペレーションは易経を参考にコインを投げて音の組み合わせやテンポを決めていったという《易の音楽》(1951年)が元になっていて、ケージは偶然性によって作品からエゴを排除し自然に近づこうとしていたといいます。自然音も音として作曲したり。

有名な《4分33秒》(1952年)のオーケストラでの演奏動画がありました。分類としてはピアノ曲だけど楽器指定はないそう。というか、楽譜は”休み”のみとなっている沈黙の音楽。普通に見てたら笑っちゃうんだけど、音楽とは?音とは?という概念への問いが音楽になるという、そんな感じで評価が高いそうです。
そういったケージの思想の構造に共鳴し、ダンスで提示していったのがポストモダンダンスともいえます。

ところで偶然性によるエゴの排除とは、意図しないことで無意識へアプローチすることかなと私は考えています。芸術では第一次世界大戦下にダダという芸術運動がありそこからシュルレアリズムなどに発展していきますが、そのあたりで意味への問いとか無意識領域とかを表すために偶然性が使われ出して、近年ではジャクソン・ポロック(1912〜1956)とか。現代アートの出発点となったとされる《泉》(1917年)のマルセル・デュシャン(1887〜1968)も偶然性を取り入れていて、1913年に《音楽的誤植》という作曲もしている。ここらへんの考察もしたいですね。

ポストモダンダンスに戻りまして。1950年代アメリカでは先に触れたダダの手法を取り入れたネオ・ダダという動きもあらわれてきて、ジョン・ケージが大きく関わっています。廃材や日常品を使用した作品や、ハプニングやパフォーマンスと呼ばれる身体を使った活動などが前衛芸術家たちによって行われました。日常的な物、動作、行為、環境によって鑑賞者との境界をなくす試みで、芸術と非芸術の境目を曖昧にしていく流れがあったんですね。芸術家の領域横断もあり、またアメリカの社会背景としてベトナム戦争があり、ポストモダンダンスにも影響を与えていたのではというところ。

あとポストモダンについて、脱近代主義といわれるけどそもそも近代主義=モダニズムの理解ができていません。モダニズムとモダンダンスのモダンは意味が多分違う。建築や芸術や文学などでもポストモダンという言葉は使われるけどその前のモダンがモダニズムなのかもよくわからないところ。
今のところ、哲学・思想面での二元論的傾向の否定というのが個人的にはしっくりくるところで、善悪などの相対するふたつの原理だけで判断するのはやめようみたいな感じでしょうか。


1917年、デュシャンは《泉》を発表し「観念の芸術」が生まれました。それまでも思想や哲学が芸術になっていたけれど、そのものを提示するという形はここから始まりました。
そのものを提示する、ダンスでの形がポストモダンダンスであったのかなと思います。二元論的傾向の否定は、今まで当たり前に良い悪いとされていたものに疑問を持つことでもあります。ダンスに物語や感情は必要なのか、劇場でしか上演できないのか、真ん中にソリストがいなくてはいけないのか、観客の方を向いていなくてはいけないのか、テクニックがなくてはいけないのか。これは二軸の争いではなく多軸の探求なのだと思っていて、私が面白いなと感じるところであります。多軸の探求には自分の当たり前を超える必要がありそれが偶然性による意図の排除と無意識のアプローチとも繋がってくるのではと。

さてさて。整理ついてないのがよくお分かりいただける文章だったかと思います。が、懲りずにまた書いてみますね。


参考文献
越智雄磨『コンテンポラリー・ダンスの現在ーノン・ダンス以後の地平』国書刊行会、2020年
大迫菜緒『マース・カニングハムの作品にみるダンス・テクニック』桜美林論考人文研究、2019年
鈴木美雪「ダンスにおけるミニマリズム」『日本女子体育大学紀要』第39号、2009年
三宅香菜子「マース・カニンガムのワールドツアー再評価 —音楽とダンスの相互独立性の視点から—」『第 69 回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集』2019年

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