自己紹介1|誕生〜小学校「やりたい事をやりたいと言って良いんだ」
これまではアメブロを長く使っていましたが
stand fm.との連携がnoteだとできるという理由で移動してきました!
これからnoteでは、
声にまつわる
・精神(sprit)
・体(physical)
・技術(technique)
の事を中心に
私、平野友子の頭の中を
赤裸々アウトプットしていこうと思っています。
伴って、まずは自己紹介から。
自己紹介(誕生〜小学校)
1. 平野友子です
私は、平野友子と申します。
2月24日生まれの魚座
大阪生まれ、奈良育ち
現在は、奈良の実家と
東京都渋谷区との2拠点で生活しています。
父 康民
母 小夜子
姉 弘子
の元に生まれてきた
平野家の次女です。
名前は「友達がたくさんできますように」という
両親の願いからつけてもらったのが「友子」
とっても大切な大好きな名前です。
まさに名前の通りに
たくさんの人達に助けられ支えられながら
人間関係にいつも恵まれながら
今日まで生きてきました。
意図のチカラって本当にすごいですね!
アーユルヴェーダでいうと
ピッタが少し多いぐらいで
ヴァータも同じぐらい持っています。
カファは数パーセントという、ピッタ・ヴァータで
数秘は33
という、まぁまぁスピリチュアルな感性も持ってる人間
・・・だと思います。
その反面、理屈っぽいところもありまして
裏付けを説明のできない、
まぁ・・・ふわっとした事を
簡単に信じたりしない、大変、疑り深い性格でもありw
だからこそ、信じるために、徹底的に
調べ上げたり、取り組んだりもするタイプ。
ゆえに、その分、確信を得られた事に対しての
確信レベルはずば抜けてる事が多い
・・・と、自分で言うのもなんですが、思っています。
という、そんなオタク気質なところもある私です。
なので声についても今も尚
解剖学的な面からも
量子物理学的な面からも
学び続けています。
以下の数秘の画像がまさに
当たり過ぎていたので共有します!
↓↓↓
2. どんな赤ちゃんだった?
4000gオーバーの巨大ベイビー!!
お産が一週間ほど遅れたからなのだそうですが
お母さん大変だっただろうなw
私の顔を初めて見た時に
御母さんに似ていて(父の母ね)
「おおぅ・・・」となったと言っていましたw
3. 野生児ともこ
今となっては、姉とはとっても仲良しなのですが
子供の頃ですもの・・・・・・
姉もテレビのリモコンを持って
この先からビームが出てて
これに当たったら死ぬみたいな
ブラックジョークを言うやんw
口では敵わない私は、怒り狂うと
姉を追いかけ回して、腕を噛む!
そして泣かせる!という、野生児
姉の腕には私に噛まれたあとが、まだ、ある・・・w w
近所の裏山に基地を作って遊んだり
落ちてるポテトチップスを食べたり
親が玄関に蒔いた塩を「おいしい!」言うて舐めたり
おやつを貰っていなかった訳では決してなく
さらに食べたくて仕方なかった!?ちびっこギャング
今も私は胃腸がかなり強いのですが
このおかげ・・なのかもしれませんw(!?)
4.「友ちゃんは運がいい」の呪文
地元の幼稚園の年少クラスは、定員が少なく
通いたいならクジを当てないといけませんでした。
が!!!
それを自分で引いたところ、なんと、当てた私!!
それから、町のくじ引きでも
必ず私に引かせるようになった両親。
そしてちゃんと当てる私。
それから「友ちゃんは運がいい!」と
頻繁に言われるようになり
これが今も尚続く
私の得体の知れない謎の
「根拠のない自信」になってるのでは!?
と思っていますw
5. 皆みたいに出来ない・・・
そんなこんなで年少から幼稚園に入園。
早生まれの私はみんなよりも、とっても小さく
みんなの出来ることが、私だけ出来ないことが多く
あれ・・・と、小さいながらも、異変に気づき始める。
お漏らしも常習犯だったのでw w
幼少期の一年って大きいじゃないですか?
でもそんなの子供には分からないですもんね。
子供ながらに恥ずかしかったのハッキリ覚えてますもん。
ここで出来た劣等感から
私は引っ込み思案になり
どんどん自信のない子になっていきます。
6. 劣等感の上塗りをするように
小学校に入り、ついてしまった劣等感を
さらに濃く上塗りするようにw
給食を食べるのが遅すぎて掃除時間まで食べてたりw
いや・・・干し椎茸が嫌いすぎて、どうがんばっても食べられなかったのよね・・・昔の給食、干し椎茸つかいまくってたくない・・・?
パンも残しがちで、あとでランドセルに入れようと
机の中に押し込み
毎日押し込み
さらに押し込み
教科書も押し込み
パンは机の奥の方へ・・・・
そして私はカビパン工房の店長となる!
とか、
気をつけて食べてるつもりなのに
何故かいつも制服には味噌汁こぼした跡w
とかね!
もうほんと、私、やばくない?
・・と自分で思っていましたよw
さらには、算数がわからなさすぎて
先生をかなりイライラさせたこともありw w
いまだに、九九は、6の段の後半から怪しいですw
唯一、
小1から始めたエレクトーンだけは
上手に出来て面白かった記憶。
7. 人生最初のターニングポイント
そんな私も
小学6年の頃に、
一つ目の大きなターニングポイントを迎えます。
キーパーソンは、担任の米田先生。
米田先生は、
親御さんから嫌われてもいたけれど
好かれてもいた方。
授業の内容が逸れていってしまうので
賛否両論あったようです。
が、私の母は、米田先生が大好きでしたし
私もクラスメイトたちも、みんな大好きでした。
クラスの係を決める時
体育係とか
黒板消し係とか
そういうのがこれまでの普通だった中
米田先生が
「みんなの、一番好きなやりたい事はなんですか?」
と質問してきたんです。
いいのかな・・・と思いながらも
「絵が好きです」
とドキドキモジモジしながら伝えた私。
そしたら、後日
大きな模造紙を用意して
「絵を描いて」と言った先生。
そうして私は
その真っ白な模造紙に思いのまま
いっぱい絵を描き、先生に渡したらば
それを教室の後ろの壁にそのまま貼ってくれて
「教室が明るくなったな!」
と言ってくれたんですよね。
みんなと同じことが上手に出来ない・・・
運動も勉強もダメダメな私はいけてない・・・
癖毛でボサボサだし可愛くないし・・・
と劣等感の塊だった友子12歳
初めてのパラダイムシフトの瞬間
人生において忘れられない記憶のひとつ
私は、私の好きなことで
誰かの役に立って良いんだ・・・
こんな落書きだけど喜んでくれる人がいるんだ・・
って。
それから私は、
何か発表で手を挙げるような場面でも
手を挙げられるようになっていき
運動会のスタート時のピストルをうつ係もやったし
卒業式の挨拶を一人で言う役割もやった。
本当はやってみたかった事に勇気を出して
少しずつチャレンジするようになっていきました。
8. 演劇部ではじめての高笑い
そんなこんなで小6では、
なんとなく演劇部に入ってみた私。
当時から主役にはあまり興味はなくw
一番最初にもらった役は、魔女w
これがちょっと悪い役で
むっちゃ楽しかったんですよね!
主役を嘲笑うように高笑いするシーンがあって
そこ、俄然やる気出してやってたので
高笑いがやたら上手いと褒められw
今思ったら、
なんかウップン溜まってました?
って思って、書いてても、なんか笑えるw
そしてその頃
仲良しの友達とラジオごっこして遊ぶのにもハマり
ラジカセを2つ持ってきて
音楽をかける用のと
音声を吹き込む用のとを使って
お話や、曲などをカセットに録音し
聴いてもらったり
一人でお風呂に入っては
あることないことを想像して
なんの話かよくわからんセリフを
即興で思いのままに喋り
感極まって泣く
泣きながらまたセリフを喋る
というのを何故か日常的にやっていましたw
なにかを意識してやり始めた訳でもなく
女優になりたい!とか切望してた訳でもなく
そんな意識もなかったけど
なんか面白かったようです。
みたいな、
ちょっと変わったところを
隠し持った子だったのです。
ということで!!!
今回は誕生〜小学校までを
ヒストリー形式で書いてみました。
数年前にも書いていたのですが
また新たに今の自分として作り直す作業は
人生の棚卸しにもなって
とっても面白い大事な作業だなぁと感じます^^
長い投稿となりましたが、
ここまで読んでくださった方々
本当にありがとうございます。
また続きは、明日以降に!