身体に刻まれた前世、過去の記憶
昨日から新しくはじまったNHKの大河ドラマ『べらぼう』を見た。TSUTAYAの由来にもなったと言われる江戸のメディア王、蔦屋重三郎の生涯を描いた作品で、彼の生まれ育った吉原の遊郭で舞台にしている。
私は、過去世(前世など過去に生きた人生)で、長崎の遊郭で遊女をやっていた記憶がある。そんな背景もあって、食い入るようにドラマを見た。
今、この風の時代は『今を生きる』ということが大切にされている。確かにその通り。今に集中して、今を生きるということだ。
でも、みんなの身体を見ていると、今と言う時間の中に、過去も未来も全て同じ時空の中で混在している。身体の痛みの中を探って、その声を聴いていくと、まず最初に出てくるのが直近の苦しいこときつかったこと。そして幼少期の頃の苦しかったこと。そして前世とか過去世とか今世ではない過去の記憶が出てくる。全て同じタイムライン上に存在するのだ。
現在から見て、一番時間的に近いところの声を聴いていく。ゆっくり最後まで聴いて、十分に完全に満たしていくと、手放すことができる。そしたら次、また一段、深い記憶に入っていって、またそこを完全に満たして手放していく。完全に声を聴ききることができたら、過去の辛かった解釈が全て変わる。過去が辛かったから今の私も辛い、ではなく、過去辛かったことがあったからこそ、今があると思える。過去の解釈が変わることで、過去も現在も未来も全ての解釈が変わっていくのだ。
ドラマの主人公、蔦屋重三朗は幼い頃に両親が家を出て行ってしまい、遊郭のご主人に「うちで働かないか」と拾われる設定だ。そういう、親に捨てられた子どもたちが遊郭で働くケースは多かったそうだ。そのことは、私もこれまで色々な文献を調べて知っていた。しかし今回のドラマを見て、リアルな映像とともにやっぱりそうだったんだと理解した。
というのも、これまで身体の声を聴くセッションに来てくれたお客さんで、私が遊郭で商売をやっていた当時、可愛がっていたであろう子どもたちに会ったことがある。みんな共通して、私のインスタを見た時に「この人だ!なんか身体をみてほしい!会いたい!」と思うそうだ。そして実際に会うと、なんかすごく懐かしい感じを覚えたり、大好き、と思うそうだ。
これって、みんな経験していることだと思う。初対面で、なぜか懐かしいとか大好きって思う人っているけれど、過去、どこかで会ったという解釈をしなければ説明がつかないんじゃないかと。
過去で彼女たちが子どもだった頃、私は彼女たちを可愛がってあげてた。両親のいない彼女たちからすると、可愛がってくれる大人に出会うと、しかも、遊郭で美しい容姿といい匂いがするお姉さんから優しくされたら嬉しに決まっているし、だからこそ記憶にも残るのだろう。私も彼女たちに会った時、やっぱり何か懐かしいものを感じて、過去どこかで会っているなと初対面でわかる。そしてセッションをしていくと、当時の記憶が身体の中から引き出されていく。
去年の大晦日にセッションに来てくれたお客さまも、遊郭で出会った子どもだった。彼女は、私をインスタで見た瞬間に「この人に会いたい!」と思って、お話会に参加してくれた。彼女は本当にこれまでの人生、一生懸命頑張って頑張って頑張って、そして人のためにすごく尽くしてきた。
過去世で、何からの事情で親元から離れて小さい頃から外に出された場合、働くことは当たり前、身を粉にして働いていた人がほとんどなので、今世でも同じような働き方をしていることが多い。前世や過去世と、今世と、立場や時代は違っても、同じような気持ちで、同じようなことをしている。だから、身体の声で過去世の記憶を伝えると、みんなびっくりする。「今も、全く同じことしてます」と。
辛かった過去を乗り越えたいから、今世で生まれ変わって、同じところからスタートする。過去も乗り越えられなかったのだから、なかなかに大変な課題だ。でもそれを乗り越えて自分が本当にやりたかったこと、生きたかった道を歩む、というのが今世、自分で選んで生まれてきた人生なのだ。
大晦日、セッションにきた彼女も、それを乗り越えるために来てくれた。「もう十分頑張った。もう十分、一生懸命やってきた。だからもう卒業したい。自分が本当にやりたいことをやっていきたい」と。そしてたくさん涙を流していかれて、こんな感想を送ってくれました。
「昨日はあれからまたぐっすり寝た。ほんと数年ぶりに深ーーく眠ったよ。昨日の話を思い返すと涙が出て、頑張ったね、辛かったねって自分に伝える作業してる。ともチャンとこにいった話、いつもならべらべら対応しゃべる私がまだ自分の中でみつめたくて1人で共有したい気持ち。ここが済んだらまた次にいける気がする。2月にまた会えるのもとても楽しみ。今年、最高の出来事だと思う。ありがとう。ともチャンも良いお年を」
小さい頃から何かわからないけど、すごく苦しいだったりとか、なんか必要以上に自分を卑下してしまうだったり、ずっと胸に抱えている、説明のつかない何かは、前世や過去世で苦しんだことの記憶であることがものすごく多いです。
もしこの文章を見てピンと来た人がいたら、ぜひ会いに来て欲しい、そう思います。
きっとどこかでつながっているし、2025年新しい変化の時代に、新しく変わっていこうと思っても、なかなか1人だと心細い。だから後押しをしてくれる誰かがいてくれたら、一歩、前に進もうって思えるかなって。それは私自身がそうだったから。たくさんの人の力を借りて、ここまで一歩一歩、前に進んでこれたから。
2025年、みなさまにとってとびっきり素敵な年になりますように。心から祈ってます。
(写真はNHKさんのHPから拝借しました🙏)