ゴミが作品⁈
こんにちは。
こころと子ども研究家ともこです。
どんな物を大事と感じるかって、ほんと人それぞれで。
大人と子どもだと、またそれが結構違ってたりして。
大人にとっては、くだらない物、いらない物が、子どもにとっては大事なものだったりします。
例えば、ミニカーが入ってたビニール袋とかw。
親からしたら、ミニカーを出したら袋はゴミになるんだけど、
息子は、そのビニールにまたミニカーを入れてしまって、また出して…というのをやりたがります。
だから、何かを捨てる時には、本人に確認するのが大事だなぁと感じるのです。
モンテッソーリ教育の講座を受けていた時、
「ハサミの練習で切った紙を、ぐちゃぐちゃぽいって子どもの目の前で捨てたりしないでくださいね。
子どもにとっては、自分の「作品」なので。」
って話があって、ハッとしたのです。
大人目線だと、切った切れ端はゴミに見えます。少なくとも私には。
でも、「切る」という体験をし始めて、切れることが嬉しくて、
自分が切った!
という感動を味わっている子どもにしたら、その切れ端は自分が生み出した作品。
その発想は、私にはなかった!
大人だって、自分が大事にしてるものを、勝手に捨てられたらショックですよね。
宝石とか誰が見ても高価な物は、そうそう捨てないだろうけど、
ボロボロのタオルとか、
なにかのオマケでついてきたものとか、
一見、価値がなさそうなものだって、人によっては、
大切な人の形見だったり、大好きなコレクションだったりします。
私は、子どもの頃にお小遣いを貯めて買ったマンガの数々を、一人暮らしする時に実家に置いていったら、
実家の引っ越しの時に、父が全部捨ててしまったことがありました。
なんの断りもなかったので、ショックだったし、もう激怒!
父は、もういらないゴミだと思った、と。
別にまた買えるものだったから、物がなくなったこと事態は大きな問題ではなかったのだけど、
大事にとっておいたものを「勝手に」捨てられたってことに怒り心頭した私でした。
そういう体験もあって、基本的に人のものを勝手に捨てることはしないのですが、
さすがにこれはゴミだろうと思ったものがそうではない、
と、息子と関わる中で驚かされます。
自分と相手は違う人なのに、相手の物も自分の物のように扱ってしまう。
なんでそういうことをするかというと、
自分と相手の境界が曖昧だから。
相手が、職場の人とかだったら、そういうことはしないんだろうけど、
親子とか夫婦とか、身近な存在になると境が曖昧になりやすいですね。
特に子ども相手だと、
まだわかんないだろうから…
すぐ忘れるだろうし…
片付けるのに邪魔だから…
って、本人の気持ちとか想いとかを軽く考えがちになるなぁって思います。
(とはいえ、あまりにゴミらしき物が増えると収拾つかなくなるので、
本人がほとんど見向きもしなくなった物は、しれっと処分させていただくことも😅)
あと、息子と遊んでいる時に、息子が置いた物を私が勝手に移動させたりすると、
「僕がせっかく並べたのに!こっちに置かないで!」
とか怒られたりします😅
こだわりの強くなるイヤイヤ期だからっていうのもあるけど、
子どもには子どもなりの意図があって動いてる。
「一緒に遊んでるんだから、触ったっていいじゃん!」
とか思うけど、まだ「一緒に」の意味も大人とは違う。
僕の世界、僕のルールがあって、そこに「一緒にいてね」ってことらしいです(笑)。
自尊心がある子ども
自分で考えられる子ども
思いやりのある子ども
そんな子に育てたいって思ったら、
まず親が大人が子どもを尊重し、思いやり、考えて選択する機会を与えて接しているかを振り返る必要があるなぁ
と自分を振り返って反省します。
子どもは自分がしてもらったことを人にもするようになっていくから。
まるでコピーしたように。
無意識に子どもと関わってると、まぁしょっちゅう「勝手に」色んなことをしてしまう私。
折に触れて思い出していきたいです。
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