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7月に入って、調子が落ち着いてきたと
予定を入れまくり、、

そこからまた、不調が、ぶり返して
あなた、かなりやばい状態だよと!

下手したら足切断よ!と、

初診で言われたともこです。


ええ、、人生で2度めの、
このパワーワード、

最初は、今の持病になり始めた20代後半。
つまり、15年くらい前??

あの時人生90年、四捨五入して
30歳として→え?

(27くらいだったけど)

2/3残ってる!

それを痛みとともに生きてくのか?と
当時入院してた主治医に言われた思い出、、



去年から悪化して、なんとか動けるようになったものの、、でも痛みはあって。

痛みで眠れないは、脱して
でも、まあ、痛くて1日動けない日も
あったりするんだけど、

七月入って少し良くなってきて。

おおお!と思った矢先に、、

調子良くなってきたとおもい、
いつもの大学病院に
診察受けに行った。
軽い気持ちで、
足にできた、潰瘍を見せたら、、

主治医には、これより増えたら
即入院!!!

そんなに悪いのか!!
調べたら悪性リウマチ!!
え!ええー!!
名前からして悪そう
悪性ていう、破壊力よ!!


で、その後じゃあなんとか、
せめて漢方で体の中を整えようと
別の漢方の病院に初診で行ったら

冒頭の言葉。

ええ、大学病院の診察から
二日くらいしか経ってない、、

絶望しかない!!
希望なんて見えない。
打ちひしがれる、、

そして今は、夏休み!
子がいる!!家に、どこか連れて行ったり
宿題を一緒にやらないとまだまだ、

ご飯だって作らないと、、

入院なんてしてる場合じゃねえ、、

と思いつつも切羽詰まった状況は
変わらないわけで、、

まだ、その場で入院にさせなかった
主治医の優しさなのか、、
猶予がもらえた。

どんなに調べても、いろんな
方向から本を読んでみても、、

やっぱりわからないものはわからない。



そして、地に足がつかないから足に
疾患が出るんだと、言われたことがある。
グランディングとか、瞑想して今と繋がることと。

そんな私は脳内が、AD HD的

(脳内多動なんす)

グランディング、、瞑想、、わからない、、
今を感じるとか、それがいいのがわかってるけど、感覚的にわからない!!

気がついたら次のこと考えてたり、
脳内のおしゃべりがあるし、
まあそれでいいと思って生きてるから、
改善しようとかも思わない、


てか他の人の脳内がどうなってるかなんて
わからないし、静かなんだよて、
言われてもわたしはわたしのことしか、
わからないから、、その境地に行けない。

つまりだ、、色々と、わからないし
できないのだ。




ここ数日泣きながら友達とラインしてて。
脳内の声がデカすぎるんだよねーて
わかってくれた→同じ脳内おしゃべりタイプ。

だから体の声が大きくならないと
すぐ脳内の声にかき消されるから

そして行動に移しちゃうから
体が止まれて言ってるんだよと。

ぬおおおー!なるほど!
そう言うことかぁーー!!

だから今ここへの意識とか、
グランディングとか、わからなくて
もちろん瞑想もえへ❤️

モヤモヤしてたんだけど
スッキリした。


まあ少しずつ訓練していくとして。
できない自分を責めてた。

そして、なんでできないんだろう
このままじゃもっとわるくなって
どうしようと、


不安ばかり大きくなってた。
楽しいことをするにも、
体のストップがかって、できなくて
そこでも絶望してたから。

私は楽しいことをしたいと
思った時にその瞬間、行動したい人。

それができないのは苦痛しかなくて、
私にとっての自由を奪われるもの。

だったら生きていても仕方ないと
思ってしまう。

人それぞれ、価値観があるし、
何を大切にしてるかでも違う。

ただ、わたしの場合は、
好きな時に行動に移せないことが
何よりも辛いことだったんだなぁて、

今回のことで感じた。

今は一旦落ち着かせて、
向き合う時期なんだなぁ。

旦那さんが、あの時から、
生き延びてきたじゃんと。
そして前より色悪くないよーて。
→長年私の足をみてるから、
よくわかってる。

ちなみに、あの時とは28歳くらいで
入院した時のこと。

当時一番ひどくて、死にそうだった頃
お付き合いしてて、
その時のことを言っている。


たしかに、、


そして、なんでこんなアップダウンが激しい
人生なのか、もう嫌だーー全てが嫌だー
全て終わりにしたい!となりつつも、

これが私なので
最後まで付き合うしかない。

グランディングも、瞑想も
できないけど。

この、できてる潰瘍が
すこしよくなってるのか
全く良くなってないのか
わからないけど。

わからないままでもいいのかもしれない、

全てを知ることは無理で。
それで生きていくのも
悪くないかもしれないなんて、

ようやく思えた。

切断レベルと言われた日、
何年かぶりに会えた友達がいた、

たまたま、予定があって
病院の後に会えることになって。

希望だけは捨てるなと。
そう言ってくれた。

必ず打開策が、みつかる!
ここまで乗り越えてきたから!
大丈夫、わたしは信じてると。

そして一緒に泣いてくれた。

わたしはそれだけで十分な気がした。
彼女だって、大変な時なのに。
わたしのことを気遣ってくれた。

生きる意味も、よくわからなくなるけど、
でも、だったら、楽しいことをしたい。
体に無茶させてしまうこともあるけど、
それでも、悔いがないように
楽しんで生きていきたい。

だからこその、養生をしていこうと思う。




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