一言主2

愛国運動における「扶清滅洋」路線と「滅満興漢」路線――清朝末期の中国に見る❝愛国❞の本質

 今の日本では「愛国=与党支持」というイメージが広まってしまっています。言うまでもなく、そうしたイメージは間違いです。
 しかし、与党支持者に愛国的な言動をする方がいるのも事実。「愛国者」というのを「一枚岩」だと思うことから、色々な誤解が生じるのだと思います。
 ここで今の日本の「愛国・売国」について論じる気はありません。私の専門は東洋史ですので、ここでは今の日本人にとっても参考になりそうな清王朝末期の二種類の愛国運動を紹介させていただこうと思います。

大清帝国は「中国の王朝」ではない

 まず、最初に言っておかねばならないことは、清は中国の王朝ではないという事実です。
 そもそも、清は最初から「清」(大清帝国)だったわけでは、ありません。一番最初はヌルハチが建国した後金と言う国でした。正式な国号は「金」です。
 ヌルハチは女真族(満洲民族)で、かつて女真族は「大金帝国」という国を建国していました。同じ国号なので歴史学上は「後金」と呼んで区別されますが、但し後金は当初はあくまでも中国(明)の朝貢国という位置付けであって、君主の称号も「王」であり「皇帝」ではなく、つまり「帝国」ではありませんでした。
 もっとも、後金建国の時点から漢民族(中国人)はいましたが、かと言って大明帝国の覇権に挑戦する存在ではなかったのです。
 そして後金が「大清帝国」になったのも、モンゴル族との抗争に勝利して「大元帝国」(北元)の帝位を奪ったからです。
 つまり、清王朝は「満洲人がモンゴル帝国の帝位を奪って創始した王朝」なのであって、中国の王朝では全くないのです。
 その後、清は明の内乱に乗じて中国を支配します。その際にかなり風習・文化が「漢化」しましたが、かと言って完全に中国に染まったわけではありません。
 中国人には満洲民族の風習である「辮髪」を強制しましたし、公用語は中国語ではなく満州語であるという建前は維持し続け、しかも、中国語の標準語すらも満洲訛りの中国語である「官話」(Mandarin Chinese)としました。
 さらに、満洲・台湾・東トルキスタン・モンゴル・チベット等の地域への中国人の移住を制限するなど、大清帝国の版図は名実ともに中華帝国の領土とは言えない状態だったのです。
 ついでに言うと、チャイナドレスは満洲人の民族衣装を洋風にアレンジしたものであって、本当は「マンダンリンドレス」と言う方が性格なのですが、蒋介石が中華民国の女性公務員の服に採用してしまったため、今のイメージとなります。
 要するに、大清帝国は文化も相当「満洲民族の文化」が弘められており、大義名分上も実態上も「中国の王朝」とは言えない、ということです。

「扶清滅洋」路線――それでも大清帝国を守る

 そんな清王朝ですが、末期になると欧米列強の侵略を受けるようになります。そして、官僚たちの中には売国に勤しむ者まで出てくる始末。
 というわけで、民間の愛国者が立ち上がりました。政府がきちんと働かいならば、民間の志士が国を守るしか、ありません。
 こうした民間の志士には二つの路線がありました。そのうちの一つが「扶清滅洋」路線です。
 これは簡単に言うと「大清帝国のために西洋人どもを滅ぼせ!」という、非常に愛国的と言うか、排外主義的な路線です。
 しかし、確かに欧米列強も侵略者ではありますが、元はと言うと清も漢民族に辮髪の風習を押し付けた、憎むべき侵略者のはずです。
 彼らの中には清王朝の体制における支配階級に属している人間もいましたし、また数百年に及ぶ清王朝の支配がすっかり「当たり前」のものだと思って特に反対しなかった人たちもいたと思われます。
 いずれにせよ、彼らは仮に中国がイギリスの植民地になると、今度は「イギリスを守れ!」と言いかねない人たちであり、それが本当に「愛国者」なの?という疑問符は付きます。
 が、いつの時代にもそういう人たちは出てくるものです。
 日本でも江戸時代には「江戸幕府を守ることこそが、天皇陛下への忠誠である!」と主張する佐幕攘夷派も少なからずいましたし、今の中国だって香港の民主化デモにイギリス国旗を掲げた集団が存在します。
 幕末の日本や今の香港においては、幸いにも彼らは主流派にはなっていませんが、清王朝末期においては「扶清滅洋」派が義和団と言う主教結社と結びつき大きな流れとなりました。
 義和団は「義和拳と言う拳法を学べば銃弾が当たっても死なない!」という無茶苦茶な教義のカルト宗教ですが、そんな宗教に縋るほど困窮している民衆が少なくなかった、ということでしょう。
 しかし、彼ら素朴な民衆――無邪気に怪しげな拳法を信じるぐらい素朴な民衆――の、素朴な愛国心は西太后を始めとする愛国心皆無の権力者によって利用されていく運命にありました。
 「愛国=権力追随」と妄信した人たちの哀れな姿と言うべきでしょう。

「滅満興漢」路線――清王朝を亡ぼすことこそ愛国

 一方、現実に中国を変えたのは「滅満興漢」路線の人たちです。
 これは簡単に言うと「満洲民族の支配を打破して、漢民族による国をつくろう!」と言うものです。
 このような立場に立つ場合、「愛国」とは即ち「反権力」の同義語となります。
 我が国では「愛国=権力者支持」というような固定観念が(主に左翼勢力によって)広められていますが、それは全くの誤りです。
 少なくとも、この「滅満興漢」路線に立った人たちは「太平天国の乱」「辛亥革命」において現実に大清帝国の支配体制と対峙しました。
 今の中国ではだれも辮髪をしていないことからも、この「滅満興漢」路線の成功が伺われます。
 このように、同じ「愛国」と言っても「清王朝を守る」「清王朝を倒す」という、正反対の路線が生まれ得るのです。
 さて、今の日本の愛国運動はどちらになるのか――それについて述べることは本稿の趣旨より逸脱しますので、この程度で締めくくらせていただきます。

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