日本人男性がスカートを履かない理由は天武天皇の命令が起源
文化や習俗について漠然と「自然発生的・非政治的」なもの、もっと言うと「風土に根付いたもの」という印象を持っている方は多いであろうが、実際には政治的に決まったものも少なくない。
その一つが、男性がスカートを履かないという“文化”である。
ある女性が「制服で女子のズボンは認められたけど、男子のスカートは認められないんですね」と言っていたが、一応、一部の学校は男子のスカートも認めるとか言っている新聞記事を読んだことはある。
ちなみに、関東の方では「小学生の制服は私立のものであって、公立の小学校では私服が普通」であるというらしいが(なぜ小学生が私服で良いのに、小学生以上に服装について自己責任論が通用する高校生は制服なのか、どうして疑問を抱かないのだろうか?)、これは「制服」という言葉の原義からすると可笑しなことである。
本来「制服」とは、朝服を着られない身分の公民や雑色人(公民権の無い良民)が朝廷に用があるときに着る服である。その服は黄色と決まっていた。
だから「拡大解釈」して私立学校が制服を着るのは悪くはないが、本来制服とは「公立」のものである。その点、関西の多くの公立学校はその辺りの機敏を判っている。
話を戻そう。世界では男性がスカートを履く国もあり、イギリスのスコットランドはその典型であるが、実はスコットランドのスカートを履く男性にも「アンチ・イングランド」という政治的なアピールの場合があるという。
以前、スコットランドの独立を問う住民投票で、スカートを履いた男性がアピールしていた写真が載った新聞記事を読んだことがある。このように「文化」と「政治」には密接な関係がある。
日本でも男性がスカートを履かなくなった時期は、ハッキリと記録が残っている。
それは天武天皇の次の命令が理由だ。
この中にある「褶」と「裳」がスカートのことである。
「着るな」と書いてある以上、それまでは男性がスカートを履いていたのだ。
ではどうして禁止したのか?
ここでは理由はハッキリと書かれていない。聖徳太子の冠位十二階に由来する「位冠」と一緒に禁止されているから、位階と関係のあることは判るが、それがどうしてスカート禁止になったかは、不明である。
しかしながら、敢えて想像すると「中国の視線」が気になった可能性がある。
というのも、当時の中国では既に男性がスカートを履くことが無く、そして日本人男性がスカートを履くことが特異な目で見られていたからだ。
『隋書』「俀国伝」には男子が「裙襦」を着ることが特記されている。裙襦は唐代の女性の服装であり、要するに「日本の男は女性みたいな恰好をしている」と書いているのである。
日本人は外国の模倣が好きである。アメリカに数年占領されただけで和服を着なくなるぐらい、染まりやすい。
白村江の戦で敗北したことも、日本人が服装を変えるのには充分なきっかけにはなっただろう。
もちろん、真相は天界の天武天皇にしか判らないのであるが。