見出し画像

「古代版ネオリベ」藤原仲麻呂によって歴史は歪められた【律令国家の崩壊(1)】

 基礎知識がない方でも日本の歴史が理解できるよう、なるべく判りやすく記事を書こうと思います。
 まずは「律令国家(古代)から王朝国家(中世)への移行」について、です。
 日本の歴史は古代だと「邪馬台国」とか「壬申の乱」、中世だと「源平合戦」「戦国時代」と、それぞれファンがいる時期はありますが、
「古代からどうして中世になったの?」
という、肝心なところは興味の無い人も多いですし、学校でもあまり教えません。
 しかし、実は「なんで古代から中世になったのか?」と言うところこそが、日本の歴史において一番重要ですし、今の政治を考えるうえでも役に立つんです。
 というわけで、古代から中世への移行について今から説明していきます。
 今回の説明のキーパーソンとなるのは、藤原仲麻呂という奈良時代の大物政治家です。彼によって、日本は「古代」のままでいることが出来なくなってしまいました。

「天皇と国民は一体!貧困が無い社会を!」目指した律令国家

 まず、皆さんは「律令」という言葉の意味を覚えておられるでしょうか?
 一応、小学校の教科書にも出てくると思いますが、忘れてしまっている方も少なくないと思います。
 「律令」と言うのは、簡単に言うと今の『刑法』と『民法』を合わせたようなものです。
 大宝元年(西暦701年、皇暦1361年)に『大宝律令』が出来ました。その後、『大宝律令』は改正されて『養老律令』になりますが、この二つに大して違いは無いとされています。
 ただし、『大宝律令』は今の時代には残っていないので、私たちが学校で習ったり研究したりする「律令」の内容は、たいていは『養老律令』の方です。(『大宝律令』はほぼ同じ内容だというのが通説なので、専門家以外はこの二つの違いは特に意識しなくていいです!)
 律令国家というのは、日本がこの「律令」によって運営されていた時代の国家体制のことです。
 さて、皆さんは学校で律令国家について次のようなイメージがありませんか?
「律令の下、農民は朝廷に支配されて重い負担に苦しんだ。」
 ・・・こういうイメージ、実は間違いです!
 律令国家の理念と言うのは
「天皇陛下と国民は一体!天皇陛下の御稜威(権威)によってすべての国民が幸せになろう!」
と言うものです。
 じゃあ、具体的にどうするのか。古代の日本は農業が中心です。というわけで、律令国家においては
「全ての国民に平等に農地を分配しよう!」
ということになりました。「平等」に農地(田)を分配するので、死んだら政府が回収します。子供が相続すると格差が生まれちゃいますからね。
 すべての子供たちは6歳から12歳になるまでの間に「口分田」という農地を支給されます。男の子にも女の子にも支給されますが、女性は男性の三分の二です。
 これだけ聞くと現代の価値観から「差別だ!」と騒ぐ人がいるかもしれませんが、当時の中国や韓国では女性に農地は支給されていませんでしたし、ヨーロッパも女性の財産権は制限されていました。一般論として農作業は力仕事である、ということも考慮すると、当時にしてはかなり「平等指向」だったのはお判りいただけると思います。
 また、男性の方が女性よりも税負担が多かったことも考慮する必要があります。
 当時の税の中心は「租」と言って、田の収穫の3%を納税します。これは男女共通です。
 さらに男性はそれに加えて、「庸」「調」「雑徭」という税もあります。とはいえ、これらすべてを合計しても収入の1割を超えることはなかったと考えられます。
 それに農地を支給されていた以上、余程の凶作で農作物が全滅でもしない限り、餓死はしない訳です。
 もっとも、律令国家においては身分制度もあったので、現代で言う「格差の無い平等」と言う訳ではなく、今の言葉で言うと「ベーシックインカム」に近い体制でした。とは言え、時代背景を考えるとかなりの「理想主義」的な要素を持ったのが律令国家だった、と言えます。

国民に支給する農地が足りなくなってしまった

 しかし、理想主義的な制度を現実に運用しようとすると、様々な問題に直面します。
 社会が安定すると緩やかに人口は増えていきます。そうなると農地の数を増やさないといけません。
 政府(朝廷)は全国の国民(百姓)に命令しました。
「このままだと日本の農地は足りなくなってしまう!農地の今の倍にしよう!全国で農地の開墾を行え!」
 ところが百姓たち、あまりこの開梱作業に乗り気ではありません。
「百姓の皆様、もしも沢山の農地を開墾すれば勲章を与えます!頑張って下さい!」
「勲章?そんなものもらっても、収入が増えるわけじゃないし。」
「もっとたくさん開墾すると、なんと、庸と調が一生免除されます!頑張ってください!」
「だけど、開墾した土地は政府のものになるんだよね?自分の土地は既にあるし、めんどいからいいや。」
という感じの百姓が多かったようで、あまり成果は上がりませんでした。
 仕方が無いので朝廷は更なる手を打ちます。
「新しく開墾した土地は、死ぬまで自分のものにしても良いですよ!用水路とかも自分で開墾した人は、孫の代まで自分のものにして大丈夫!」
 これが『三世一身の法』という法律です。これにより、ようやく国民も開墾作業に動き出しました。
 とは言え、それでも「農地倍増」という政府の目標はなかなか達成できませんでした。

建前は「自由競争」本音は「富の独占」

 こんな中、一人のずる賢い政治家が登場します。民部卿の藤原仲麻呂です。
 藤原仲麻呂と言うのは、今の時代で言うと麻生太郎財務大臣みたいな人です。古代の「民部省」と「大蔵省」が合併して近代の「大蔵省」になり、そして平成になって「財務省」に改名されましたから、当時の民部卿の仕事内容は今の財務大臣に似ています。
 いつの時代にも財政を握るものが強い。おまけに、藤原仲麻呂はあの光明皇后の甥っ子でした。
 そう言えば麻生財務大臣も妹が皇室に嫁いでいますから、麻生さんと藤原仲麻呂は色々な意味で似ている政治家です。
 さて、藤原仲麻呂はこう主張しました。
「『三世一身の法』が制定されてから20年もたつけど、思ったよりも農地が増えていませんよね?これじゃあ、もっと思い切った改革が必要なんじゃないですか?」
 確かに正論。誰も反論できません。
「と、言う訳で『墾田永年私財法』という新しい法案を作りました!皆さん、どうですか?」
 すると朝廷の貴族たち。
「なるほど。これは良い法案ですなぁ。」
と、すんなり賛成してしまいます。こうして『墾田永年私財法』が制定されました。
 さて、その内容はどういうものか、というと、大きく前半と後半に分かれます。
 まずは、前半から。
「百姓たちが土地の開墾に意欲を持つために、これから土地を開墾したものには、永久に(子孫代々)土地を所有することを認める。
 もっとも、事前に国司(今でいう県庁)への届け出は必要とする。他の百姓の仕事の妨げとなるような開墾は認めない。」
 これだけだと、特に問題ないように思います。では、後半を見てみましょう。
「ただし、所有できる土地の広さは、身分が一位の者は五百町、二位の者は・・・、・・・・・・。」
 そう!実は、所有できる農地の広さには「身分による制限」の条項があったのです!
 あくまで、表向きは
「百姓のために、自由に土地を開墾して所有する権利を認めます!」
というものでしたが、それは「建前」であって「本音」は
「身分の高い貴族が開墾した土地を独占する!」
というのが『墾田永年私財法』の内容でした。だからこそ、律令国家の理念に反する政策であるにもかかわらず、藤原仲麻呂の提案に貴族たちは反対しなかったのです。

古代版「三位一体の改革」も推進

 『墾田永年私財法』によって貴族と百姓の間の貧富の差は拡大しましたが、朝廷の幹部もみんな貴族なので、誰もこのことをツッコみません。
 藤原仲麻呂は表向き「百姓の味方」を装い、さらにはこんな「改革」もします。
「租の税率を3%から2.5%に減税する!」
 これには全国の百姓も拍手喝采。藤原仲麻呂の人気は再び上がります。
 しかし、実はこの政策こそが、周り巡って百姓たちを貧困に突き落とす、トンデモナイ政策でした。
 『墾田永年私財法』の時と同様、今回の「大減税」にも裏があったのです。
 そもそも租と言うのは、政府は政府でも主に中央の朝廷ではなく、地方の国府の財源でした。
 ここで言う「国府」の「国」とは「日本国」の「国」ではなく「播磨国」「摂津国」「筑前国」「武蔵国」と言った時の「国(令制国)」です。
 つまり、国府というのは今でいう県庁や市役所のようなものです。要は、今でいう地方自治体の財源だったのです。
 要するに、租を減税するということは、地方の税収が減る、ということです。地方の税収が減ると行政サービスも低下します。とは言え、古代の百姓たちがそんな複雑な政治の事情を理解できるはずもありませんでした。

「公廨稲制」で百姓たちを借金漬けに

 さて、では収入が減る地方の国府の役人たち(国司)は藤原仲麻呂の政策に反対したのか、というとそうではありませんでした。
 実は、藤原仲麻呂は国司たちへの人気取り政策もきちんと行っていたのです。それは「公廨稲制」という制度です。
 「公廨稲制」というのは
「出挙の利子収入を国司の給料にしても良い!」
というものです。この「出挙」と言うのは
「地方の国府が百姓に対して行う融資制度(借金)」
のことです。例えば凶作になって稲がなくなった場合、百姓は国府から籾殻を借りて田に植え、収穫分の一部を利子付きで国府に返していました。
 簡単に言うと「借金」今でいう「公的融資制度」ですが、藤原仲麻呂はこの制度を大きく変節させ、いわば
「百姓にお金を貸せば貸すほど(原資は税金)、その利子で国司の給料が増える!」
というシステムを構築したわけです。
 無論、こんな制度を作ると地方の国司は喜んで百姓にどんどん出挙を貸しまくり、百姓を借金漬けにします。
 こうして多くの百姓はどんどん貧困に苦しみ、一部の貴族に富が集中するシステムが完成したのでした。
 以降、徐々に律令国家は崩壊へと向かっていくこととなります。(続く)

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。