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「主権者」の概念の多義性

 一般に『大日本帝国憲法』は「天皇主権」の憲法であると言われているが、実際に帝国憲法を一読した人間には周知の通り、帝国憲法にはそもそも「主権」という言葉は用いられていない。
 ただ当時の内閣による憲法の英訳では「統治権」の訳語として「the rights of sovereignty(主権的諸権利)」が用いられており(※1)、そして帝国憲法では天皇は「統治権の総覧者」として規定されていたから、その意味では天皇を「主権者」と表記すること自体には問題はない。
 しかしながら、帝国憲法の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」(第4条)という規定の意味は、『日本国憲法』における「国民主権」の意味ほど明確では無かった。
 即ち『日本国憲法』では「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)や「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と明記されており、ここで言う「主権」に「国家元首の規定を含む、憲法の内容を確定させる権能」つまりは「憲法制定権力」が含まれていることは疑いようがない。
 だが『大日本帝国憲法』では天皇に憲法制定権力があるとは明記されておらず、統治権を「総覧」すると言っていても、具体的にどのような意味であるかは解釈の余地がある。
 そして、実際に「天皇主権説」と「天皇機関説」との論争が生まれた。
 注意すべきは「天皇機関説」の論者も天皇を「主権者」と表現することはあったということである。
 ただ、天皇機関説は次の点で天皇主権説と対立した。
 第一に、天皇は「国家の統治権」(主権)を「総覧」するのであって、従って統治権を行使する主体はあくまでも国家であり、天皇はそれを総攬する「機関」である、ということ。
 第二に、天皇はあくまでも『大日本帝国憲法』第4条にも明記されている通り「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」のであり、国民は憲法及び法令に基づいた天皇の命令にのみ服従する義務があるのだということ。
 第三に、天皇の国務上の大権は国務大臣の輔弼を必須の条件とし、且つ、国務大臣は議会に対して責任を負うこと(これは美濃部達吉説であり、筧克彦説では国務大臣は議会に対して責任を負わない)。
 一方、天皇主権説はその逆である。天皇主権説の要点を纏めると次のようになる。
 第一に、そもそも自然人の集合に過ぎない国家自体に人格は無いのだから、統治権の主体は国家と言う抽象的な存在であるはずはなく、具体的には天皇が統治権の主体である。
 第二に、「憲法は天皇が統治権を行使せらるる武器であり」(※2)、憲法制定権力は天皇に帰属する(天皇自身が発議した憲法改正であっても、天皇の気が変わると不裁可とすることが出来る、とまで解釈する)。
 第三に、国務大臣の「輔弼は法律上直接に何等の効力あるものではない」のであって(※2)、また国務大臣は議会に対して責任を負わないし、議院内閣制は天皇主権の侵害である。
 周知の通り昭和初期に天皇機関説と天皇主権説の対立は政治問題となったが、帝国憲法の条理解釈に基づく限りは、明らかに天皇機関説に理があった。
 そもそも天皇主権説に立つと帝国憲法の多くの規定が空文化してしまうため、その様な極端な解釈を維持することは困難だったのである。
 さて、『日本国憲法』における「国民主権」は国民を機関とする趣旨ではない。
 より正確に言うと、国民投票の時には「国民」は統治権を行使する機関として登場する。しかし、通常は国会が「国権の最高機関」(第41条)となっている。
 三権分立とは言うが、法治国家において行政と司法はあくまでも法律に基づいて行使される。従って、立法機関である国会が一番偉いのである。
 国会が一番偉いということと国民主権との整合性とを取るために、国会議員は国民による普通選挙で選出され、国会には内閣総理大臣の指名や裁判官の弾劾を行う権限が与えられている。
 ところが、一部ではこのことを覆す主張が根強く行われている。
 それが「首相公選制導入論」である。
 内閣総理大臣を国民の直接選挙で選ぶというこの主張は、要するに主権者である国民が直接総理を選ぶということである。ならば、国会は理念上も権限上も「国権の最高機関」ではなくなる。
 首相公選制になると、内閣不信任決議は無くなるであろうし、天皇による内閣総理大臣の任命すらなくなる可能性もある。そうすると、それは国家元首でも主権者でもない内閣総理大臣が「統治権の総覧者」となる、ということである。
 言わば、天皇機関説論者の用法で言う「主権者」に内閣総理大臣がなる、ということである。
 と言うよりも、内閣総理大臣を天皇が任命している今ですら「天皇は国家元首ではない!国家元首は内閣総理大臣だ!」という憲法学者が存在している。
 そのような中で内閣総理大臣を国民の直接選挙で選ぶとなると、今以上に「天皇は国家元首ではない!」という主張が強くなるであろう。
 にも拘らず、保守を自称する改憲論者なるものの中には、首相公選制を主張する者が少なくない。
 「河野太郎は国の元首にして統治権を総攬し、この憲法の条規によりてこれを行う」とでも書けば、首相公選制のヤバさが少しは理解できるであろうか?

※1「単行書・大日本帝国憲法英文訳」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017236000、単行書・大日本帝国憲法英文訳(国立公文書館)
※2上杉慎吉『帝国憲法述義』有斐閣書房


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日野智貴
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