大東亜戦争は”聖戦”とは言えない
今日は光明思想の本を読む輪読会に参加し、造化の三神(天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神)へ祈りを捧げさせていただきました。
宝蔵神社で一緒に修行した橋本百合子先生主宰の輪読会です。久しぶりに橋本百合子先生にお会いできて良かったです。
先の大戦が、実際には天皇陛下の御心では無かった、という内容の部分を輪読しましたが、今後の日本のことを考える上でも、先の大戦の評価は避けて通れないものであると考えます。
特に、谷口雅春先生(宝蔵神社再興の祖)の言われた、戦争の理由の一つが光明思想が政治にまで及んでいなかったことにもある、という旨の言葉は、今の時代においてもとても参考になる話です。
今の日本は、「戦争参加法制」を通し核兵器禁止条約に反対する一方で、明治維新記念式典には天皇陛下を招聘しないという、まさに陛下の御心を無視して戦争に進んだ戦前の政府と似た行動を取っています。
誤解を招かないために言わせていただくと、私は大東亜戦争におけるアジア解放の大義が間違っていたとは、思いません。しかしながら、戦争という形を取らずにアジア解放が実現したならば良かったことは、言うまでもありません。
戦争になった理由の1つが、資源の問題です。大東亜戦争に石油等の資源確保のための戦いの側面があったことは否めません。
この問題は今の日本でも本質的には変わっていません。それどころか、食料自給率は当時よりも低下しています。
日本の平和を守るためにも、農業者戸別所得補償制度を復活させて食料自給率を上げることが必要だったのですが、今回の総選挙でその訴えが届かなかったことは残念でした。
今後再び戦争を繰り返さないためにも、私たちは不断の努力をしていかなければなりません。
今後も国際平和、日本国実相顕現のために、祈り行動させていただきます。