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ごく普通の小学校から変わった中学校に進学した記〜その1 小学一年生〜

 私は東京生まれで1歳の時に埼玉に住んでます。埼玉県の某小学校に入学してとても楽しい毎日を過ごしていました。好きなことは相撲とサッカーで休み時間よくやってました。ということは、一緒に遊べる友達もたくさんいて、休み時間も放課後も遊んでました。担任の先生のことはあまり覚えていませんが他の子と対等に扱われていたと思います。とっても楽しい2か月半でした。

 しかし入学から二か月半で大阪の方に引っ越してとても寂しい思いをしました。クラスのみんなにサプライズで手紙を書いてもらい、「頑張って」とみんなに言ってもらいました。でも寂しくて引越し先で全く友達出来ませんでした。

それは、「機会があれば埼玉の小学校に帰りたい、もし帰れた時に〝こっちの友達と離れるなんて寂しいなんて言いたくない‘’」と言って意識して作らなかったのと、気の合いそうな人がいなかったから。後々、そのクラスメイトとは関わらなくて正解だと思いました。理由は後でわかると思います。

 引越し先(転校先)の担任の先生には訳なしで嫌われて、ずっと苗字で呼び捨てという、私には嫌だった呼びかたをされました。

何度嫌だと言ってもやめてもらえず、何回目かの時に「何度言ったら分かるの、別に良いじゃんね。そんなことで文句言ってたら・・・」とクラスみんなの前で授業時間中にお説教されました。そして「◯分授業潰れたから時間返せ」という始末。その時、私は何と言っていいか分からずしおれた顔をしていました。

 それでみんなには「こいつは呼び捨てで呼んでいいんだ〜」と思われたようです。みんなに呼び捨てで呼ばれ、私はみんなに呼び捨てで呼ばれた時、無視するようにしていました。クラスのほとんど全員と話ができませんでした。

 多分先生本人はは嫌ってる自覚はなくて、「転校生だから可愛がってやる」「こっちのやり方に慣れさせてやった」という感じなんでしょうね。それからも大阪風のいじめを受け続けました。埼玉の私にはきつかったです。

もちろん最初は母とかに言ってましたがだんだん失望してきて「大阪ってこんなとこ、当分このまま。みんな同じ。埼玉のみんなも同じかも」といつのまにか割り切って耐えるようになってました。

私が耐えられたのは大好きな音楽の授業だったと思います。もちろん音楽もその担任に教わっていましたが、不思議と担任の顔は気になりませんでした。

次回「その2 小学2・3年生の時」に続きます。


 


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