「新約聖書」

古本屋でゲットした格安本。
聖書(新約)を読むのは抄訳含めて3回目くらいかなぁ。カルト・キリスト教分派の連中より原典をシッカリと読んでるんじゃないか?

最初に読んだのは高校生の時で、実は、午後のクラブ活動の時間に“聖書研究会”に入ってたのだ。クリスチャンでもないのに、なぜ入ったかというと担当の老教師がチョロくて、机に突っ伏してグッスリと寝れたからだ。しかし、そのトロい教師に分厚い聖書をタダで貰ったので、せっかくだからと暇な時に頁を開いてた。

基本的に、イエズスという教祖の奇蹟を伝える信者たちの文書の集大成が、この「新約聖書」なのである。イエズスが生まれる前までが旧約、イエズス生誕後が新約聖書になるわけだ。旧約はそれなりに面白かったけど…。

イエスズとは、存在するために他のいかなるものをも必要とせずに存在するもので、これ以上ない絶対的な存在なのだ。ゆえに数々の奇跡を起こして各地を周るのだが、結局のところ、イエズスの行いと彼への信仰を大賛美する物語なのだ。そりゃそうだ、紀元前1〜2世紀のキリスト教信徒によって書かれたものだから。

イエズスの弟子たちによる伝承だけど、客観的に証明する材料がない。後世に加筆修正された可能性もある。だとしても、もちろん数々の奇跡なんて起こる訳もなく、神話伝承の類いだとしても、コリャ、オカシイぞって誰も大きな批判をしなかったのかなぁ。古代人だったらムリなのか?それとも当時の権力者がキリスト教を国教と認めたところが多かったから(統治しやすいから)、こんなにも普及したのか?人間は単純なものだね。数々のエピソードは面白くないことはないけど。

世界一のベストセラーであって、多分、西洋人の思想の根本になってるのが、この聖書だと思うけど、こんな書物が人類を左右するくらいに大きな影響を与えて来たなんて、にわかに信じられないね。今だにそうだし。

まだ、良い神もいて、悪い神もいる、生死がハッキリとして、時に恐ろしくもある日本の昔話、神話、伝承の教えの方が、めっちゃリアルで何十倍も素晴らしいと思うけどさ。

前半のイエズスが、各地を回って数々の奇跡を起こすところはまだ読み応えがあるが、後半のイエズスと神を賛美する手紙の数々はケッ!ってな感じで文字を追うのが苦痛だったね。「オーメン」で有名な666の黙示録は想像が過ぎて非常に理解に苦しむ。

ユダの裏切りは虐殺を、女性を別物としてるところは性差別を、異教徒を貶めているところは戦争を、イエズスを信仰しない者は救われないとしてるところはカルトの萌芽を見るね。

まあ、それでも世界一の信者を持って、歴史的にでも読み継がれて来た聖書は、それなりの価値を持つのかもしれない。

俺は、宗教は人類にとって欠かせないものではあるけど、それは身を委ねて信仰するものでは決してなく、それぞれが都合の良いように“共感”するものだと考えている。

死者が弔われる場所や想いがたくさん残ってる場所、想いを一つに信仰する場所は、自然と頭が下がり、手を合わせるだろう。それが宗教なのである。教義なんていらない。

人間は、科学で証明できる現実のリアルな世界の中だけでは、生きて行けないくらい辛いものになるのだと思う。概念であっても、想像の世界であっても、脳に生きる力と希望を与えるためにも、絶対的な“神”という快楽を必要とするものなのだ。ただ、争いの元は、自分の信じる神を絶対視することと、その神を人に押し付けようとすることだ。

日本の神社仏閣も好きだが、厳かな雰囲気漂うデッカい欧州の教会も好きだ。

コレは新約だから、また旧約も読んでみようか。それにコーランも。

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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。