「絶滅へようこそ」
地球が誕生して、どのくらい経つかは忘れたけど、地球上の生物は何度も絶滅と再生を繰り返してきたらしい。今が6度目の絶滅期だという。
考えてみれば、ホモ・サピエンスという種が、このまま永遠に残って続いて行くとはいえないよね。
最近の環境保護とかSDGSとか、いくら悪足掻きを繰り返しても、人類そのものをなくさない限り、根本的な問題の解決はないわけで、子孫(DNA)を残すといっても、それは人類のエゴに過ぎず、そろそろ本格的に絶滅しても良い段階に入って来ているのでは、とマジで思った、この本を読んで。
一応、表向きは現在、地球を支配してるのはホモ・サピエンスだけど、マクロの視点から見ると、戦争でも、核でも、環境であっても、人類は充分、絶滅すべきことをたくさんやってきたわけで、ここいらでもう主人公の座を、細菌など他の強い生命体(コロナだったりして)に譲るべきかもしれない。
そうすると、今、我々が持つ全てのものが“無”になっちゃうんだけど、それも“自然”だと思わないかい?
人類が、これまで散々、反省することなく絶滅するような蛮行を繰り返して来たのは、やはり自然の存在としての人類に明らかに破滅願望があるからだと思う。
人間の文化・文明は徐々に熟成して来たけど、同時に徐々に絶滅に向かってるのではないか。
確かに人口はガンガン減ってるし、人間よりもAI他、機械が代わりをやってくれるようになってるし、地球上の生物としての人類の役割って破壊以外に見当たらないようになって来ていると思う。人間の痕跡がデータとしては残っても。
生物の基本である“生への執着”でさえも薄くなっているのでは。
暴力も振るわずに、他の生物を殺して食べることもしなくなってきた種は、自然では絶滅するしかないのだ。
自然からなんとか独立しようと目論んで来た人間が、自然に還ろうなんて、後は絶滅しかありえないだろう。
人類が絶滅するのも、けっこう悪くはないね、というこっちゃ。コンテンツとしての人間は、すでに“オワコン”なのだ。
まあ、絶滅といってもずっと先のことで、自分が生きてる間は、変わらずに理不尽なことばかりの世界が続くだろうけどさ。
いずれ人類は絶滅するために、地球は太陽の周りを飽きもせずにクルクル回ってんぢゃね〜の?
この本では、人間の行方として…、
道具や機械を理想としてどんどんツルツル(無機質化)になり、
社会における攻撃性を弱毒化しておとなしくなると同時に、
フィクションの世界で食べられる夢を楽しみながら、
他人の苦しみを増幅しつつ自らも苦しみ、
セラピー的自然の中で自分を癒そうとします。
そして、神なき時代でも自分自身を心理的に超えていくものを求める。
さらに、自己管理の徹底された“はぐれ官僚”的な主体に惹きつけられますが、
それは暴力性の歴史の認識に裏打ちされた“男性性の終わり”以後の主体であると同時に、いまだ自己家畜化され、女性化する主体の夢でもある。
…としている。
さ〜て、用無しの最もたる障害者の中年ジジイはどうしたもんかねぇ(笑)。