【洋画】「8 1/2」
フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2(Otto e mezzo)」(1963年、伊・仏合作)。
「はっかにぶんのいち」で、8と半分であるが、フェリーニ単独監督作品では8作目となる。共同監督を含めると、確かに8 1/2。
大昔、観たと思うが、その時は多分、ナンジャコリャ!?だったと思うけど、コレは、映画表現におけるフェリーニの心情を表したものじゃないかと思う。宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同様だ。
フェリーニの自伝的作品といわれるこの奇妙なフィルム、特に映画監督からの支持がスゴくて、ロマン・ポランスキーやデヴィッド・リンチも最高傑作に挙げている。
別に、難しい前衛的な作品ではない。
有名な映画監督のグイドが、身体が浮遊して落下する夢を見る。
映画の創作で精神的にも肉体的にも疲労の極みにあるとの医者のアドバイスもあって、彼は温泉地に療養に出かける。
しかし、そこでも映画の仕事から逃れることはできない。
仕方なく、新作の構想を練るが、いつまでも決定しない映画の内容と、スポンサーに対する苦悩だけが重なっていく。
そして、温泉地で余生を過ごす老人たちに混じってるという幻覚を見て、自ら理想の世界へと現実逃避を始めることに…。
つまりは、スランプに陥った映画監督が、現実と夢の世界を行き来するだけのものだけど、どこまでが現実で、どこまでが夢なのかわからなくなってくる。
映画監督として、周りが期待する以上の作品をと思ってはいるが、なかなかアイデアが浮かばない。プロデューサーやスポンサーからの催促は激しくなってくる。マスコミも焚きつける。コレらを受けて、ただ映画監督グイドの激しい苦悩だけが、ハッキリと現実的に浮き彫りになる。
そこで、妻と愛人が出て来る。2人は現実的で、この2人の女性の存在は、グイドに大きな影響を与える。
その他にも、身内他人含め、周りのたくさんの女性に囲まれて、ハーレムの様相を呈するが、結局、グイドを翻弄するに過ぎない。
そして、登場人物皆、手をつないで大団円のように展開していくが、ラストはイミフだ。
映画監督というのは、とにかく苦悩で始まり、苦悩で終わるみたいなことで、映画の主人公に監督自らの思いを投影することで、かろうじて精神のバランスを保ってると、フェリーニは言いたかったんじゃないか。
だから、それをわかった、多くの映画監督の支持を集めたのだ。
最後、グイドのピストル自殺を匂わすような表現もある。
グイドが言う。
「幸福とは誰をも傷付けずに真実を告げることにある」「混乱した僕の人生は僕自身の反映だったんだ」「実を言えば求めるものはまだ見つからない」「だが君の目をまっすぐ見てこう言える」「人生は祭りだ。共に生きよう」…。
妻は「人様に何を教える気?妻にさえ正直になれない男が」と反発するが。
ゲージュツ家ってのは、とにかくタイヘンなのだよ。
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