2・26
2・26
青年将校の行動は、失敗したからこそ美しくなったと思う。策略謀略、天皇をもはるかに超えて。成功してたら単なる政治的行動で終わってた。そこに三島由紀夫は強く魅かれ、三部作を書き、同様に自分も自裁したのだ。
青年将校と上官との電話でのやり取りを聞くと、すごく日常的だ。クーデターの最中とは思えない。
天変地異か外圧だけで自浄作用で変われない国において、テロが有効となるのは山徹事件でも実証済みだけど。
しかし、危機の時に、強さに救いを求めるのは愚かだと思う。
今日まで、YouTube東映チャンネルで、高倉健主演の「動乱」がタダで観れる。
ということで、高倉健と吉永小百合初共演の「動乱」(1980年)を観た。監督は「八甲田山」の森谷司郎。
若い頃に観たが、最後の、健さんが撃たれるシーンだけは覚えてた。
YouTubeのコメントを見ると、“素晴らしい名作”などと絶賛のコメントだらけだけど、映画としてはあまり面白くない。「二百三高地」の方が泣けた。
後半が性急過ぎるし、決起となるクライマックスもお粗末。決起将校らの心理描写も不満だし、単に史実をそのまま沿ったような感じもする。これじゃ前半の方がまだ良いけど、メロドラマとしては中途半端だ。
健さん、寡黙過ぎるよ〜。健さんの持ち味だけど、もっと人間性を演出してもよかったんじゃないか。小百合さんは、いつもながら素晴らしいけど。
全体的に226事件美化の面が強いと思う。
映画では、「義憤に燃えて血潮湧く♪」の兵士らだが、軍隊であろうが、民間であろうが、上は肥え太って、末端は散々苦しむという構図は、いつの時代も変わらないなぁ。当時の、娘を身売りしなきゃならない状況は事実でホントに酷かったのだろう。
全てをひっくり返す革命ではなく、枠の中で浄化する維新であるのが日本らしいが、当然、天皇は反乱として認めない。
将校らにとって、天皇は、現実の存在を超越して、ゾルレンとしての存在と概念化してたのかもしれない。そこに目を付けたのが三島由紀夫だった。
決起する前夜、愛した女と情交を結ぶ。清潔な軍服に身を包み、激しく雪が降る中、汚れた血にまみれる。最後は自分の清廉な血にまみれて倒れる。そこにゾルレンとしての天皇が彼らを天上に導く…。
美化とはいえ、こう考えるとエロチシズムの極意だ。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。